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2020.05.13
特集
成長世代への指導に力を注ぐスポーツニュートリショニストの先駆け【ニュートリションな人々 #04 ~坂元美子さん 前編~】
Kiyohiro Shimano
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ニュートリション関係者の人物背景や取り組みについて紹介するシリーズ企画。第4回目は、神戸女子大学・坂元美子さん。

坂元さんは、スポーツ栄養学がほとんど知られていなかったころからプロスポーツ現場での栄養指導に携わり、0からノウハウを確立してきた。特に、野球、サッカーの成長期世代の栄養指導・サポート経験が豊富で、チームの強化にも一役買っている。

長年の指導経験を後進に伝えながら、多くの人にスポーツ栄養学を知ってもらうべく、活動を続けている。

動画「すぽとりChannel」

体が弱かった子供時代、食で体が変化することを知る

「スポーツ栄養」がほとんど知られていないころから、スポーツ現場で活躍している坂元さん

今でこそいろいろなスポーツ現場で選手への栄養指導を続けていますが、子供のころは病気がちで満足に運動できなかったんです。小児ぜんそくを患っていて、体育の授業を毎回見学するような子供でした。

そのころを知らない人にこの話をすると、「え、うそ!?」と言われるんですよね(笑)。今はピンピンしていますし、あちこち飛び回っていますから。小児ぜんそくは体力がついてくると改善する傾向にあるんですが、なかなか良くならなくって。親も心配したと思います。

ぜんそくの治療のため、週1回注射を打ちに病院へ通う日々が続く中で、いつしか病気で苦しんでいる人を助けている看護師の仕事に魅力を感じるようになり、高校卒業後の進路は「看護師」と心に決めていました。

でも、比較的体力を使う看護師の仕事に不安を感じていた私の父親が「これからは栄養(管理栄養士)の時代だ」と。この言葉が人生を変えました。管理栄養士がどんな仕事かわからず、「へぇ、そんな職業があるんだ」くらいにしか思っていませんでしたが、「食から患者さんの助けになろう」と管理栄養士を目指すことにしました。

当時、管理栄養士の養成課程があった神戸女子大学管理栄養士養成課程を受験しました。実は、卒業生なんです(笑)。それで、大学4年間で栄養学の勉強をしているうちに、「私は何て恐ろしい(体に良くない)食生活を送っていたんだ」とがく然としました。

私の子供時代はちょうどインスタント食品やファストフードが身近になったころ。両親が自営業で不在が多く、私が妹に食事を作っていたんですが、何も考えずに加工食品や添加物たっぷりの料理を食べていました。その当時はおいしいと思いながら・・・。

それで、大学で知識や情報を得ると自然と食生活が変わって、食べる物も意識するようになりました。大学卒業時には調味料すら使用しない、自然の物を自然のままが美味しいと。とにかく体にいい物を摂ることに徹底していました。今ではそこまでしませんが(笑)。

食生活の改善を図ると劇的に体調が良くなり、幼いころから長く続いていた通院生活からも卒業できたんです。だから、食で体が変わることを身をもって体験していますし、自らの経験を指導現場でも生かすことができていると思っています。

スポーツニュートリショニストへの道は突然に!?

もともと「病院患者のための栄養サポート」を目指していたので、スポーツニュートリショニストになろうとは思っていませんでした。体が弱かったし、スポーツとは無縁の生活でしたから。大学卒業後、兵庫医科大学で研究室の実験補助をしていたんですが、そこでたまたまというか、運命の出会いというか、大きな出来事がありました。

ある時、大学の病院にオリックス・ブルーウェーブ(当時)の選手が受診しに来て、選手の診療が終わるまでの間、同行していたトレーナーと世間話をしていました。話の流れで、私が「管理栄養士なんですよ」と言うと、トレーナーの方が「シーズンオフ中にダイエットさせたい選手がいるから、メニューを作ってくれませんか」と依頼され、引き受けることにしました。

引き受けたのはいいんですが、当時はスポーツ栄養学の概念がなく、方法論が確立されておらず、相談する相手もいない。さて、どうしたものかと。スポーツ選手だからタンパク質がしっかり摂れるメニューを作成して提出しました。

その後、トレーナーの方から「選手の体調管理や栄養の指導をしてほしいので、定期的に来てくれませんか」と言われ、ボランティアでチームに通うことになりました。当時のオリックスは仰木彬監督の下、「日本一になるために新しいことをどんどんやっていこう」といったムードがあり、栄養面もしっかり考えていこうと。当時としては最先端のことをしていたと思います。

そして、1年間のボランティアを経て、球団専属の管理栄養士として採用されました。「3年間で結果を残してください」という内容で、チームの優勝に貢献すること以上に、選手一人ひとりに食への意識をしっかり植え付けることが重要でした。

2月1日の春季キャンプから帯同する予定で準備している最中に阪神・淡路大震災が発生し、どうなることかと思いましたが、無事チームとも合流できて、スポーツニュートリショニストとしての第一歩を踏むことになりました。

※ 昭和30年代の西鉄ライオンズ(当時)黄金期の二塁手として活躍した。現役引退後はコーチを経て、近鉄バファローズ(当時)、オリックスの監督を歴任。日本一1回、リーグ優勝3回を経験し、名将の呼び声が高い。イチローや野茂英雄ら、日本が誇るメジャーリーガーを育てた。

<後編へ続く>

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