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2020.02.14
ニュートリションな人々
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ニュートリションで日本と世界に橋を架ける 【ニュートリションな人々 #02 ~青柳清治さん 前編~】
すぽとり編集部

ニュートリション関係者の人物背景や取り組みについて紹介するオープニング企画。第2回目は、栄養学博士で株式会社ドーム執行役員(サイエンティフィックオフィサー)の青柳清治さんの半生をお送りする(全2回)。

長い間欧米の企業で要職を務め、現在は日本のスポーツニュートリション分野の発展に力を尽くし、幅広い活動を行っている。

“アメリカ人”として青春時代を送り…

青柳さんは1976年、エレトロ二クス関係の販売会社に勤務していた父の転勤でアメリカ合衆国のロサンゼルスに渡った。中学2年生の時だ。当時を振り返り、青柳さんはこう語る。

「あのころは今ほど日本人を受け入れる体制が整っておらず、全く英語が話せなかったし、日本人もほとんどいないので、ずいぶん苦労しました。でも、周囲の人たちに本当に親切にしてもらって。無事に高校を卒業することができたんです。もう日本人というより、アメリカ人として生活を送り、青春時代を過ごしたといっていいでしょうね(笑)」

ちなみに近年の在米邦人の数は約50万で推移しているが、1997年に25万人を突破して以降、約20年で倍増している。青柳さんが渡米した1976年当時、もっと日本人が少なかったことを考えれば、文化に溶け込んで積極的にコミュニケーションを図るのは当然だった。今ほど日本の文化や国民性に寛容ではない時代。言葉ではいえない辛酸も味わっただろう。語学習得、勉学に精力を傾けて高校卒業時には成績優秀者として表彰されるまでに至った。

青柳さんは大学を決める際、日本に帰国する考えはなく、アメリカで永住しようと考えていたことから、南カリフォルニア大学(USC)、カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)、オクシデンタル大学(Oxy)の3校に進路を絞った。いずれも、アメリカの名門大学で多くの著名人、政治家、研究者などを輩出している。

USCとUCバークレーは比較的大きな規模で学生数も多い一方、Oxyは比較的小規模で特定の分野に偏らずさまざまな分野が学べる、いわゆる「リベラル・アーツ・カレッジ」。一学年も少数でじっくり勉強できる環境だと思い、後者を選択した。2学年上にはバラク・オバマ前大統領がいる。物心つく頃からダーウィンの進化論に共感を覚えていた青柳さんは、大学で生化学を専攻する。

「僕はね、生粋の『ダーウィニアン』。なぜ人間がここまで進化したのかを考えると面白い。古くから人間が脈々と受け継いできたDNAが進化して、今に至ると思っているんです。生化学を極めれば、その答えに少しでも近づけるのかなと思っているんですよ」

みっちり勉学にいそしみながらも4年間の大学生活を満喫した後、青柳さんは「日本人なのに日本のことを何も知らない」と感じ、日本国内でアミノ酸の研究・開発を行う企業で研究者としての職に就いた。

糖を微生物で発酵し、アミノ酸を生産する技術の応用でアルギニンを生成し、アルギニンの生産株からオルニチン、シトルリンを生産する技術を見出した。それが1985年。今でこそ消費者の認知度が高いアルギニン、オルニチン、シトルリンのアミノ酸3種はこの頃から研究が行われ、青柳さんはその黎明期にかかわっていた。

その後、アミノ酸の用途開発の研究に携わることになる中で探求心が強くなり、社内留学制度を利用してイリノイ大学の大学院に進む。ここで、アミノ酸研究の第一人者、デイヴィッド・H・ベイカー博士に師事し、研究スキルを磨いていった。留学期限の2年で、通常は4年かかる博士課程も修了できるメドがついたため、退職してそのままアメリカに残って栄養学博士号を取得した。

博士号を取得後、アメリカ製薬大手「アボット・ラボラトリーズ」に入社。オハイオ州にある研究所で病態別栄養学の研究に従事した。ここではリウマチの栄養治療をテーマに用途開発研究を進め、在籍中には3つの米国特許を取得した。

「リウマチは自己免疫異常が原因で、免疫組織が自分の関節を壊してしまい、痛みが発生するメカニズムになっています。このときⅡ型コラーゲンをごく微量に摂取すると免疫系が変化して自分の抗原を攻撃しなくなり、リウマチが改善されるということを突き止めました。アボット社在籍時にいろいろな研究をさせてもらって、薬ではなく栄養をきちんと摂ることで病気の予防に役立つことがよくわかりました。この時期はとても面白かったですね」

そのほか、栄養摂取による抗炎症作用の研究にも力を注ぎ、EPAが持つ作用に着目。EPAを配合した栄養剤「オキシーパ」の開発に着手した。オキシーパはやけど等でICUに搬送される患者用の栄養剤で、長期間ICUに入ることを余儀なくされた患者に飲ませると、EPAの抗炎症作用から早期にICUから離脱できるという臨床効果が得られている。ほかにも、COPD(慢性閉塞性疾患)患者向け、糖尿病患者向けの栄養剤を次々に開発し、病気の予防や治療という観点から栄養摂取の有用性について考えるようになった。

アメリカのノウハウを日本へ導入、世界中を飛び回る日々

青柳さんがアボット・ラボラトリーズで病態別栄養の研究・商品開発を進めていたころ、日本には栄養剤に配合する良質な原料が数多く開発されていた。

原料探索のため、頻繁に帰国するようになり、臨床栄養の専門家とも交流をもつようになった。専門家らと日米の臨床栄養に関する意見交換などをするうちに、NST(ニュートリションサポートチーム)が日本国内に存在していないことに気づく。

NSTは、患者に最良の栄養療法を提供するため、医師・看護師・管理栄養士・薬剤師などのスペシャリストで構成され、欧米ではNSTが現場でチーム医療を施すことが当たり前だった。

そこで、青柳さんは日本国内の専門家や関係者に最先端の現場を見学してもらい、日本とアメリカの橋渡しをした。この活動を契機に、日本版NST誕生への流れに変わり、現在ではNSTは医療現場で定着している。

日本へ頻繁に行くことが多かったため、1998年に大日本製薬とアボット社の合弁会社「ダイナボット」(現:アボット・ジャパン)の栄養剤関連の総責任者として赴任。10数年ぶりに日本を中心に活動することになった。ここでも日米の違いを発見することになる。自らの専門分野である病態別栄養の研究が日本では行われていなかったのだ。そこで、アメリカで行っていた仕事をそのまま日本にも流用することにした。

また、医師の栄養への理解を深めることを目的に、日本静脈経腸栄養学会と合同で、アボット社が開発した臨床栄養教育プログラム「トータルニュートリションセラピー(TNT)」の国内普及プロジェクトにも携わった。TNTは今でも多くの医師が受講しており、NSTにはTNTを受講した医師が1名常勤する必要になっている。

さらに、「日本人の新身体計測基準値(JARD2001)」の確立にも一役買った。身体計測は患者の栄養状態を知るため(栄養アセスメント)に重要な項目だが、当時は欧米人の指標を使って日本人に当てはめていたため、意味をなさないことが多かった。

日本栄養アセスメント研究会と一緒になって、栄養アセスメントキット(皮脂厚や腕の周囲長を測定する道具)を普及させ、さらに年齢、男女別など日本人の体格の基準を事細かく決めていった。

「アメリカと日本ではやはりいろいろな違いがあって、特に優れたプログラムだったTNTとJARD2001の普及活動は当時力を入れていて、日本の臨床栄養分野の発展に少なからず貢献できたのではないかと思っています。自分でも誇らしい仕事をしたと胸を張れます」

海外の最先端ノウハウを日本へ“輸出”する役目をいったん終え、アメリカに戻った青柳さんは世界を舞台に栄養剤ビジネスを展開する要職に就いた。もちろん、力を注いできたTNTの普及活動を、今度は南米、東南アジアで進めていった。2009年までの7年間世界中を飛び回り、1年間のうち8割は海外出張という多忙な日々が続いた。

2009年からは、アボット・ラボラトリーズがシンガポールに栄養研究所を設立することになり、現地に赴任。研究者を集めたり、分析機器を取りそろえたり、試作品開発の施設づくりまで、まさしくゼロからのスタートで研究所を立ち上げた。

一定の成果を挙げた後、アメリカ製薬大手「GSKグラクソ・スミスクライン」へ移籍。ヘルス事業部で薬事、品質管理、開発すべての部門を統括する責任者を務めた。歯磨き粉「シュミテクト」、「アクアフレッシュ」、入れ歯洗浄剤「ポリデント」、入れ歯安定剤「ポリグリップ」、総合感冒薬「コンタック」など、日本でもなじみ深い商品の開発に携わった。

ビジネスは順調だったが、ここで自らがライフワークとしていたニュートリションから離れた仕事をする毎日に疑問が生じる。

「ニュートリション分野に戻りたい」-そう思っていた矢先に乳業大手「ダノン」からの誘いを受けて移籍。日本国内でもヨーグルト需要が爆発的に高まっていた2012年のころだ。

研究開発部長を務め、OIKOS(オイコス)、Bio(ビオ)に携わった。そして、2015年1月、現所属先である「ドーム」のスポーツニュートリションブランド「DNS」の責任者として辣腕を振るっている。 <<後編へ続く>>

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すぽとり編集部

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