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2020.06.10
スポーツ&アスリート
30歳からのスタート、“運命”を変えて勝ち取った女王の座 ~ボクシング・バンタム級 奥田朋子 前編~
Kiyohiro Shimano
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2020年1月、女子プロボクシング・バンタム級王者に就いた奥田朋子(ミツキボクシングジム)。学生時代は柔道の強豪選手として活躍し、教職の道へ進んだが、30歳を区切りにプレーヤーとして新たな挑戦を始めた。ボクシング歴6年で頂点へと上り詰めた奥田の人生を追った(全3回)。

1位になれへんのか、私…

ボクシング女王の原点は、中学のころに出会った柔道だった。幼少から習字やピアノなどの習い事、友達の影響で始めた水泳といろいろななことに興味があった。中学では水泳部に入るが、遊ぶことの楽しさを覚えていつしか部活に行かなくなってしまった。

「体が大きかったし、声も大きかったんで(笑)、目立つ存在だったと思います。何かあると『奥田さんたちが~』って。エネルギーがあり余っていたんでしょうね。活発過ぎる少女でした(笑)」

奥田のただならぬ”存在感”に目をつけた柔道部の顧問から「お前なら全国で優勝できる力がある!」と言われ、意気に感じて柔道部へ。それからは柔道に没頭した。日中の部活動に加えて夜にも柔道教室に通うほど夢中になり、メキメキと実力をつけた奥田は、柔道を始めて2年足らずで全国大会に出場するほどになっていた。

「柔道とは相性が良かったんだと思います。私も負けず嫌いですし。全国大会もたまたま出られたという感じ。それまでは全く勝てなかったのに、最後の大会だけ勝って。柔道は基本、個人競技ではあるんですが、チームメイトと苦楽を共にした経験ができました。今、ボクシングをやっていますけど、ジムにいる人と一緒に頑張っている一体感みたいなのは同じかなと感じています」

全国レベルの柔道選手になっていた奥田は、岐阜県下の柔道強豪校・鶯谷高校に進学した。中高のレベルの違いに戸惑いながらも、稽古に力を注ぐ日々が続いた。当時の高校女子柔道は団体戦が中心で、個人戦は春の武道館しか実施していなかった。県内でも屈指の実力を持っていた奥田は当然、個人戦での最有力選手と目されていた。

しかし、団体戦のメンバーとして全国大会に出場できるものの、個人戦では中学時代とうって変わってなかなか実力が発揮できず、高校1、2年の2回のチャンスも共に県決勝で敗退してしまった。「実力はあるはずなのに実戦で力を発揮できない」―奥田は高校時代を「暗黒時代」と言い、「私はずっと1位になれへんのかもしれない」と思うようになっていた。

心を強化して成績が向上する

母親が教師だったこともあり、奥田もいつしか教師になることを目標にしていた。高校卒業後は柔道推薦で立命館大学文学部に進み、教育心理学を専攻。奥田自身、大事な試合で勝てなかった原因としてメンタルの部分が大きかったと考えていたこともあり、授業の内容を練習や日常生活で実践しようと考えていた。

「心と体がバラバラというのか。勝ちたいと思えば思うほど、体が緊張して力が出せないことに気づいたんです。それならリラックスすればいいと思うんですが、自分の型にバチッとハマるものがなかなか見つかりませんでした」

メンタル訓練の手法を探している中、大学3年の時に授業で習った「自律訓練法」が自身を前進させるきっかけになった。自律訓練法は簡単に言えば「自己催眠をかけてリラックス状態を保つ」もので、うつ病にも効果があるとされる。知識や準備も必要な上、適切な手順で進める必要があったが、授業の課題でもあったため試しに実践してみることにした。

「競技によって違うと思うんですが、柔道は副交感神経(リラックス状態)優位にした方がパフォーマンスを発揮できるという研究データがあって、過度に緊張していた以前の私の状態では力を発揮することは難しかった。その点から、自立訓練法は自分の欠点を克服する最適な方法でした。余計な力が入らない分、疲労のたまり具合も軽減され、練習の質も上がりました。試合でも緊張せずに力を発揮できるようになったかなと感じましたね」

心の強化に成功し、大きな大会でも好成績を上げられるようになり、自らを向上させてくれた心理学の理解に一層力を入れるようになった。卒業論文では自らを”被験者”として競技と心理学の研究を行い、目標だった教職員免許も取得した。

若いからこそいろいろな経験を積んでみる

柔道に没頭したそれまでを振り返って「柔道から少し離れてみよう」。この思いから大学卒業後はアパレルメーカーの営業職に就く。柔道以外の道で頑張ろうと張り切っていたが、いつしか柔道をやっていたころと比較するようになっていった。

「『私、全然頑張っていない』。そんな気持ちやったんです。エネルギーはあるのに、頑張れない。どうも空回りしていたみたいで。食事も満足にできず、摂食障害気味になって、体重もどんどん落ちていきました」

沈んだ心と体を取り戻してくれたのは柔道だった。もともと指導者、教育者を目指していた奥田は原点に戻ることにした。アパレルメーカーを退社して立命館大学大学院に入り直し、大学時代に学んだ心理学をもう一度勉強した。恩師の協力で、コーチとして稽古にも参加させてもらえることになった。

「大学生の時は卒業するために勉強したようなところがあって、本当に中身があったのかなと。きちんと身につけようと、大学院でもう改めて研究しようと思いました。学校が閉まるギリギリまで残って勉強しましたね」

大学院で過ごした3年間を実のあるものとして、その後1年間海外生活を経て、教職に就くことになった。

<中編に続く>

奥田朋子選手のSNS :ブログ】【YouTube

奥田朋子選手所属ジム: ミツキボクシングジム