【対談】才賀紀左衛門(格闘家)×杉本健勇(サッカー) ~メンタル編~

アスリートはコンディショニングやパフォーマンスを上げるために、日ごろどのようなことを考えているか。プロ格闘家・才賀紀左衛門選手とプロサッカー・杉本健勇選手が対談する。

共に大阪府出身でプライベートでも仲がいい2人は、プロが持つ思いや苦労を共有し、互いの競技生活に生かしている。今回は、メンタルを中心に2人の考えを探る。

ゲン担ぎよりも食事のルーティーン

杉本健勇選手(以下、杉本) 食事とつながってくるんですが、試合前に何を食べるか、試合時までに何を食べるかとか、そういう物はだいたい同じですね。ただ、スタジアムに入ってから何かをやる、例えば右足からピッチに入るとか、そういうのはありません。細かくやっている選手はいるんですが、僕は一切なくて、それこそ食事の部分だけですね。

これ食べたら得点取れたとかありますけど、そういうのは本当にたまたまだと思っているので。以前は僕もゲンを担いでやっていた時期もあるんですが、トレーニングでも食事でも継続することが力になってくるので、今はそういうのはありません。

ラグビー日本代表の五郎丸歩選手の活躍でルーティーンが脚光を浴び、いろいろな人が取り入れました。もちろん僕もいい手法だと思っていますけど、それより自分の感覚を信じたいですね。

才賀紀左衛門選手(以下、才賀) 格闘技は1人で目の前の相手を倒さないといけないので、メンタルが物をいうスポーツだと思っています。試合に向けていくらみっちりトレーニングを積んでいても、気持ちが入っていなければパフォーマンスも発揮できません。

健勇と一緒で、気持ちを高めるための”食事のルーティーン”はありますね。計量が終わった後は、年齢を重ねて知識や情報が入ってきて多少変わってきますけど、基本的には食べる物は変わっていませんね。

個の結果とチームの結果

杉本 格闘技って、もちろんサッカーとは全然違うし、年間通して試合数も少ない。僕の場合は毎週試合があって、そのたびに良くなかったこととか、反省点をすぐに検証して、いろいろな方法を試しながら改善していくことができるんですけど、なかなか難しいですよね。どうやって対応しているんですか?

それに、減量って言葉でいうのは簡単だけど、本当にしんどいと思うんですよ。僕はやったことないんですけど、モン君を見ていると本当にすごいと思います。

才賀 パフォーマンスを発揮できる時は、「いつでも試合できるぞ」って気持ちも入っているし、体重もベストをキープできている。反対に、パフォーマンスが発揮できない時は、体重のブレもあるし、ストレスもかかってくる。経験を積むごとに自分なりにポイントっていうのはわかってきていて、自分でコントロールしているって感じかな。

格闘技は個人競技だから自分との闘いに集中すればいいけど、サッカーの場合、出場できる人数も限りがあって、ポジション争いから始めないといけない。大変だと思うわ。

杉本 確かにそうなんですけど、個人競技って自分のパフォーマンスがもろに結果に出るじゃないですか。サッカーは、パスを出してくれて自分が得点できるとか、共同作業があって成り立つ競技。勝っても負けてもチーム全体の評価になってくる。僕は個人競技をしたことがないので、その点はシビアだと思っていますけど。

才賀 団体競技って、1人がいいパフォーマンスを発揮できたとしても、例えばパサーの調子が悪くてタイミングが合わなくて得点できないとか、チーム全体で気持ちを合わせないと崩れてくると思うし、結果にも反映されない。そういった難しさはあるよね。

杉本 本当にそうです。自分が好調でも結果に必ずつながるわけではないですし。FW(フォワード)は点を取るのが仕事なので、「3点取られても、俺が4点取ってやる!」って意気込むんですけど、そんなにうまくいかない。

やっぱり、チームが試合に勝てなければうれしくないし、悔しい。ただ、試合に勝ったとしても自分が得点を決められなければ、気持ち的にも沈んでしまいますね。「自分が得点を取って勝ちたい」というのは常に持っています、やっぱり。

才賀 健勇が出ている試合を見てても、「今のは健勇に渡せよ! フリーだろ!」みたいなのがあるじゃない。いいポジションを取っていてもパスが来なかった場合、結構フラストレーションはたまるよね。

そこで、不満を表に出すと、チーム全体に悪影響を及ぼすし、自分をうまくコントロールしないといけないんかなと思う。俺なんかは、目の前の相手を倒すことで、ある程度解消されるんだけど。

杉本 いいポジショニングしていても、パスが出てこないなんてことは日常茶飯事なんで。練習でも絶対ありますし。

才賀 健勇が相性いいなと思っている選手とプレーすると、そういうのはないの?

杉本 相性っていうのはもちろんありますし、いつも相性のいい選手とプレーできればいいんですけど、それは自分では決められないじゃないですか。出場する選手を決めるのは監督なんで。

だから、出場する選手同士でコミュニケーションをとるんです。「俺がこう動いたときは、ここにパスを出してくれ」とか。求め合いっていうんですかね、そういうのはすごくやっていますね。それでも、合わないことの方が圧倒的に多いんです。

メンタルを強くするのではなく、考え方を変えてみる

杉本 僕はメンタルが弱いと思っていて。

才賀 え、そうなんだ。

杉本 今でこそいろいろな経験を積んできて、心の切り替えができるようになってきたんですけど、若い時はシュートを1本外しただけであとのプレーに影響して全くダメになるとか。そんなのばっかりでしたよ。だから、メンタルは、トレーニング、食事と同様、とても大事だと思っています。

才賀 俺の場合は、パフォーマンスを発揮できるメンタルの状態っていうのは、いかに日常のストレスを減らすかということかな。

杉本 僕はプロサッカー選手をやっていますけど、そのほかの競技を含めて「メンタルが弱い」という選手の方が断然多いと思っています。「メンタルを強くする」という思考を持つより、「考え方を変えてみる」という発想の方がいいんじゃないかと。

僕自身、いろいろな経験をした後にそこに気づいて、それからは自分の中で気持ちの整理がつくようになりましたし、パフォーマンスも良くなってきました。

才賀 何に対してメンタルが強い、弱いというのもあるよね。

杉本 確かに。

才賀 俺は個人競技だけど、子供にはチーム競技をやらせたいね。社会に出た時に1人で生きていくってなかなか大変。健勇はメンタルが弱いっていうけど、その点をチームメイトが補ってくれたり、健勇自身も補ったりする時もあるわけじゃない。

みんなでチームを理想の形に作っていく過程で、協調性とかサポート意識とか、うまくいかなかった時の対応の仕方、それこそメンタルが培われるわけで。そういう点を学ぶ経験をさせたいよね。俺もそういうのもっとやっとけば良かったんだけど(笑)。

杉本 メンタルって本当に難しいです。僕もめちゃくちゃ落ち込んだ時期もあるんで。それでも喜怒哀楽を表に出さず、いかに平常心を保つかってことも大事だと思います。

才賀 ま、そうだね。人それぞれ、周囲の環境とか生まれ育ってきた背景とか違うし、俺はとにかく何でもプラスに考えるようにしているわ。

<完>


杉本健勇(すぎもと・けんゆう)

1992年11月18日、大阪府生まれ / プロサッカー選手

所属クラブ:セレッソ大阪→川崎フロンターレ→セレッソ大阪→浦和レッズ

高校2年時にセレッソ大阪(下部組織)でクラブユース選手権優勝を経験し、大会MVPに選出。2017年シーズンには日本代表初選出を果たし、リーグ戦得点ランキング2位を記録。恵まれた体格と高い決定力を武器にする大型FW(フォワード)。

 

才賀紀左衛門(さいが・きざえもん)

1989年2月13日、大阪府生まれ / キックボクサー、総合格闘家

高校時代から格闘家として活躍し、数々のK-1ビッグマッチに出場。2013年にはプロレス、2014年には総合格闘家デビューを果たした。30歳代に入り、ジム経営と選手の2足のわらじで日々奮闘している。

【対談】才賀紀左衛門(格闘家)×杉本健勇(サッカー) ~食事・栄養編~

アスリートはコンディショニングやパフォーマンスを上げるために、日ごろどのようなことを考えているか。プロ格闘家・才賀紀左衛門選手とプロサッカー・杉本健勇選手が対談する。

共に大阪府出身でプライベートでも仲がいい2人は、プロが持つ思いや苦労を共有し、しばしば議論することもあるようだ。今回は、プロ生活を送る上での食事・栄養について、2人の考えを聞いた。

すぽとり編集部(以下、すぽとり) 小さい頃の食の思い出を教えてください。

杉本健勇選手(以下、杉本) 身長が187cmあるんですけど、僕以外の家族はそんなに大きくないんですよ。サッカーやり始めてからなんですけど、練習から帰ってきたら温かいご飯が用意してあるのが当たり前でした。

今考えてみると、そのおかげで体が大きくなれたと思いますし、毎日毎日(お母さんが)ご飯を作ってくれたことには感謝の気持ちでいっぱいですね。

才賀紀左衛門選手(以下、才賀) 才賀家も僕を含めて身長が大きくなくて、母が150cm以下で父も165cmなかったんです。だから、僕は大きくなりたくて、(成長期は)毎日牛乳を2ℓ飲んで空手の練習から帰ったら肉を食べて。

結構しっかり食べていましたね。身長は伸びませんでした(笑)が、食事をしっかり摂っていたおかげで、他の子と比べれば頑丈だったと思います。

すぽとり 牛乳の話が出ましたが、お二人はよく飲みました?

杉本 小学生のころたくさん飲んでいましたね。よく言いますよね、「成長期には牛乳がいいんだ」って。ただ、僕が聞いた話では、アジア系の人は欧米の人に比べて牛乳の吸収率がそんなに高くないようで。

才賀 そう思うわ。日本人と欧米の人って波長が違うというか。俺、2ℓ飲んだけど全然伸びひんかったもん(笑)。

杉本 体が大きくなったのはたくさん牛乳を飲んだ影響もあるかもしれませんが、食事に依るところが大きいのかな。

才賀 そうかもね。体質とか人それぞれなんやと思うわ。

すぽとり 小さい頃、食卓に出てきてうれしかった物はありますか?

杉本 食事の思い出はいっぱいありますけど、クリームシチューですね。大人になってから母の味を思い出してクリームシチューを食べに行くんですが、おいしいお店ってあんまりないんですよね、ホンマに。自分で専門店を開きたいなって(笑)。それくらい好きです。

才賀 クリームシチューとかカレーライスもですけど、僕はハンバーグですね。健勇と一緒でお店に行っても気に入る物がなくて。母のハンバーグはこだわって作っていたというか、オーブンを使った本格的なものだったので、すごくおいしかったです。

すぽとり お二人はいつから競技を始めたんですか?

杉本 僕はサッカーを始めるのが遅くて、小学3年生の終わりくらいからですね。それまでは空手とかいろいろなスポーツを経験して、野球かサッカーのどちらをやろうか迷った末に、結局サッカーにたどり着きました。

才賀 僕も健勇と一緒で、テニス、サッカー、野球、体操といろいろなスポーツを経験しました。小学3年生で空手を始めてからはそれ1本ですね。

今思うと、サッカーをやっていたころにずいぶん走らされたので、体力がついたという意味では空手に役立ったのかなと思っています。

すぽとり お二人とも小学生から競技を始め、長く活躍されていて、技術の向上も当然ですが、体作りも大切な要素になってきます。体作りやコンディショニングに対する食事や栄養摂取への意識はいつごろから芽生えたのでしょうか?

杉本 僕は高校2年生から寮生活で、朝・昼・夕の3食は寮で出される物を食べていました。食事に関しては寮長さんが管理してくださっていたので、自分で何か考えるという意識はあまりなかったかもしれません。

プロ入り後3年間も寮生活だったので、食事で困ったことはありませんでした。4年目に寮を出て独り暮らしをするようになってから考えるようになりましたね。

才賀 僕は18、19歳くらいで独り暮らしを始めたので、自然と意識するようになりました。当時、線が細く体を大きくしたかったので、プロテインとか肉を意識的に食べるようにしていました。

すぽとり 食を意識することは、運動パフォーマンスやコンディショニングに影響するのでしょうか?

杉本 間違いなく影響を及ぼします。運動パフォーマンスの向上はもちろんですし、筋肉系のケガは食事で防ぐことができると思っています。

僕は天ぷらとか揚げ物とかが好きなんですが、体に良くないイメージもあったので、独り暮らしを始めてから「自分が良くないと思う物は摂らない」と決めました。

食の決まり事を作ってから、たまたまかもしれませんが、パフォーマンスを含めて結果もついてきたんですね。だから、食が関係あるんだなと。

それから、いろいろな人に出会ってアドバイスを受けながら自分なりに勉強をしています。いい物は何でも試したいと思っているので、情報収集は欠かしていません。

才賀 これまでの経験上、何を食べればパフォーマンスが上がるかとかは何となくわかっています。体が資本のプロとして、炭水化物やタンパク質、良質な脂質とか、摂る物にこだわりをもって向き合うのは大切だと思っていますが、僕はその点、あまりこだわり過ぎないようにしています。

心と体はつながっていると思っていて、好きな物が食べられない、節制しすぎて必要な物が十分摂れていなかった影響で、一時体調やメンタルを崩したことがあったんです。

だから、自分の体に合った物をストレスなく摂ることが、結果的にパフォーマンスを上げることになるのではないでしょうか。

すぽとり 脂質について、「一切摂らない」「体のキレが違う」とよくうかがいますが、お二人は競技生活の中でどのように向き合っていますか。

杉本 それぞれで体質に合う、合わないがありますからね。僕は最初、体に良くないイメージから脂質、油物を控えていました。ただ、それは独学だったし、「本当にそうなのか」というのもあったので考えました。

いろいろと調べてみたら体に必要な物もあるので、脂質も含めて一つ一つ食べた物の記録を取ることにしました。それで、翌日の体調と照らし合わせながら取捨選択をするようにしました。これは今も続けています。

僕の好きな油物、揚げ物も栄養士さんに聞いたら、「週に1回だったら全然問題ない」と言われたので、たまに食べていますね。

才賀 格闘技は減量があるので、結構気を使います。僕は油物が苦手なので、翌日お腹の調子が悪くなったり、ムカムカすることがあったりします。体のキレとかパフォーマンスの面を考えると、良くないのかなと思っています。

ただ、その代わりにナッツ、アーモンド、フィッシュオイルと良質な脂質は摂るようにしています。魚はタンパク質も脂質も摂れるので、減量中とか試合の2週間前くらいから魚中心の食生活に切り替えています。

杉本 僕も魚はよく食べますね。独り暮らしをしていて外食をするんですが、どうしても肉食が多くなってしまい、油、塩分も多くなりがちになるので。

すぽとり 食に関してこだわっていることはありますか?

杉本 食が偏るのは良くないと思うので、全体的なバランス、3食のバランスですかね。好きな物やおいしい物を食べるとリラックスできるし、自分の決まり事を守りつつ、意識するようにしています。

才賀 僕は食べ過ぎてしまうんで(笑)。食べることでストレスを解消していたこともあって、その時はパフォーマンスが落ちたので、気をつけるようにしています。健勇が言ったバランスもそうですし、食べる時間も大事かなと思います。

杉本 そうですね。僕は朝、昼、夕と3食必ず食べるようにしていますね。

才賀 僕も基本はそうですが、減量中は補食も含めて6回くらいに分けています。

杉本 僕は3食しっかり摂るので、お腹が減ったりするとかはあまりないんですが、練習の途中で栄養価の高いプロテインバーとかで補うことはあります。

すぽとり 最後に食の重要性について、改めてお話しいただけますか。

才賀 食生活が乱れると、成績やパフォーマンスに響くことを身をもって経験しました。試合で勝つためには質の良いトレーニングを積むこと、そのためには食事のコントロールが大切だと思っています。

杉本 僕は食事を意識するまでは、本当に結果が出なくて。期待はされているけど、結果が出ない選手みたいな状況が続き、自分が一番もどかしくて。

「ここで何かを変えないとこのまま終わってしまう」と危機感を持ったときに、自分なりに考えてトレーニングや食事と真剣に向き合うことで、結果がついてきました。だから、食事は大切だと思っています。

現役生活もそれほど長くないし、引退したら好きな物が好きな物が食べられます。今は長く活躍するためにできる限り我慢しようと思っています(笑)。

<メンタル編に続く>


杉本健勇(すぎもと・けんゆう)

1992年11月18日、大阪府生まれ / プロサッカー選手

所属クラブ:セレッソ大阪→川崎フロンターレ→セレッソ大阪→浦和レッズ

高校2年時にセレッソ大阪(下部組織)でクラブユース選手権優勝を経験し、大会MVPに選出。2017年シーズンには日本代表初選出を果たし、リーグ戦得点ランキング2位を記録。恵まれた体格と高い決定力を武器にする大型FW(フォワード)。

 

才賀紀左衛門(さいが・きざえもん)

1989年2月13日、大阪府生まれ / キックボクサー、総合格闘家

高校時代から格闘家として活躍し、数々のK-1ビッグマッチに出場。2013年にはプロレス、2014年には総合格闘家デビューを果たした。30歳代に入り、ジム経営と選手の2足のわらじで日々奮闘している。

30歳からのスタート、“運命”を変えて勝ち取った女王の座 ~ボクシング・バンタム級 奥田朋子 特別編~

2020年1月、女子プロボクシング・バンタム級王者に就いた奥田朋子(ミツキボクシングジム)。学生時代は柔道の強豪選手として活躍し、教職の道へ進んだが、30歳を区切りにプレーヤーとして新たな挑戦を始めた。ボクシング歴6年で頂点へと上り詰めた奥田の人生を追った(全3回)。

今回は、女王になるまでのコンディショニング、教職者として奥田が贈る次世代へのメッセージなどを紹介する。

減量とパフォーマンスのバランス

奥田は年2回のペースで試合をこなしている。ボクシングは階級制を敷いているため、「減量」は多くのボクサーにとって避けられないものだ。普段の体重から5、6kg落とす必要がある奥田は、減量を「作業」とみているためそれほど苦とは思っていない。

試合が近づいて激しいトレーニングで追い込んでいく中、これまで最適な減量方法を模索する日々が続いている。当初は糖質をカットすることで減量を達成していたが、レベルが上がるとラウンド数の増加とともに試合時間が長くなるため、糖質カットをするとスタミナ(エネルギー)面での不安も出てくる。

※女子は1ラウンド2分。C級(プロライセンス取得時)は4ラウンド制、B級は6ラウンド制、A級・タイトルマッチは8ラウンド制

そこで、奥田は糖質のカットをするのではなく摂取量を抑え、脂質をエネルギー源として有効活用できる体に作り変えることにした(いわゆるケトジェニック)。体重を落とせても、動けなくなっては意味がないので、減量とパフォーマンス維持のバランスをどう取っていくかがカギになった。

「今回の試合(王座決定戦)は追い込む必要があったので、トレーニングも相当量積みました。普段通り食べても体重がみるみる落ちてバッチリだと思っていたんですが、スタミナ切れを起こす、パフォーマンスが上がらないという問題が出てきて、結局途中から糖質もある程度補充する方向に切り替えました。ケトジェニックとの併用とでも言いますか。栄養摂取の対策を考えるうえで、改めて糖質の使い方、必要性を感じましたね」

栄養戦略のほかにも、日ごろのケアに対する意識も高まった。学校の授業が終わって長時間かけてジムに通い、練習が終わればすぐに帰宅。教員とプロボクサー。忙しい毎日を送る中で、体のケアまで心を配るには時間が足りなかった。しかし、大事なタイトル戦を前に周囲から促されて渋々従ったという。

「練習が終わるとクタクタで、すぐに寝たい、早く食べたいという気持ちが勝ってしまうんですね。ケアを怠っていたわけではないんですが、時間にも限りがありますから。それで、たまたまジム近くのマッサージ店に行ったら、施術師さんの技術と知識が豊富で、ケアを任せることにしました。疲労回復には効果てき面で、練習の質も上がったと思います」

技術の向上もさることながら、体の内と外からのコンディショニングとケア、そして大学時代に学んだ心理学。周囲のサポートも受けながら、心技体を高めて王座を射止めたのだった。

恐れずにチャレンジしてほしい!

ボクシング女王になり、追われる立場となった奥田は、「正直にいうと、女子ボクシング界の発展のためとか、ピンとこないんですよね。私の場合、好きなことをさせてもらっているという感覚なので。もちろん、いろいろな人が活躍することで人気や注目度につながっていくと思っています。次は世界に挑戦したいですね」と、今後の目標を話す。

30歳でボクシングを始め、頂点に上り詰めた奥田。30歳代だからこそ新しく何かを始めることを恐れないでほしいと、同年代へメッセージを送る。

「『女性の30歳は~』みたいなイメージがありますよね。何かを始めるには遅いと。私は全然そんなことないと思っています。30歳代だってまだまだやれる。肉体的には20歳代の時には及ばないかもしれませんが、その分経験という武器がある。これって強みになると思うんですよね。ボクシングに限らず。それに、ジムで一緒にやっている仲間や若い選手と接することで、新しい発見や学びが常にある。ボクシングは、いろいろな経験を経て成長した自分を表現している場なんです。表現者としてリングに立ち続け、同年代の人たちに少しでも『こんなにやれるぞ』と伝えられたらと思っています」

ボクシング女王であるとともに、教職に就く奥田は若い世代に「どんどん失敗したらええ、あんたらには失敗する権利がある」と言う。失敗したからこそ得られる経験は貴重で、それが壁にぶつかった時に乗り越える原動力になる。

「今は、デジタルとかネットとかが進んで、サポートが充実した生きやすい世の中ですよね。何でも手に入りやすいゆえに、若い子たちはそれに慣れてしまって、壁にぶつかって失敗することに抵抗があるのかなと感じています。失敗は成功のヒントが詰まっている。失敗を恐れて望まない無難な道を選ぶより、失敗を糧に自らを成長させて望んだ道へ進んでほしい」

数々の失敗を乗り越えて、新しい道に進むことでそれまでの経験を生かして大きな成功を果たす。奥田のこれまでの人生がそれを物語っている。

<完>

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奥田朋子選手所属ジム

ミツキボクシングジム

30歳からのスタート、“運命”を変えて勝ち取った女王の座 ~ボクシング・バンタム級 奥田朋子 後編~

2020年1月、女子プロボクシング・バンタム級王者に就いた奥田朋子(ミツキボクシングジム)。学生時代は柔道の強豪選手として活躍し、教職の道へ進んだが、30歳を区切りにプレーヤーとして新たな挑戦を始めた。ボクシング歴6年で頂点へと上り詰めた奥田の人生を追った(全3回)。

いつかプレーヤーとして

挫折、復活を経て、28歳で母親と同じ教鞭を振るう立場になった。学生時代と同様に体を動かし続け、自らの経験を生徒たちに教えることに生きがいを感じていた。

教師生活にも慣れてきたころ、柔道時代には経験しなかった大ケガに見舞われる。右膝前十字靭帯の断裂。年末の忙しい時期に入院生活を送ることになった。体が動かせない、退屈な入院生活の中、たまたま見ていたボクシングの世界タイトルマッチ。当時、最強を誇っていた井岡一翔の試合に夢中になり、思わず「私もこれやってみたい」。青春時代、柔道に心血を注いだ頃を思い出した。

「体を動かしたくてウズウズしていて、エキサイティングな試合に一発で心を打たれてしまいました。指導者として生徒に教える立場でしたが、いつかプレーヤーとしてやってみないなというのはずっとあったんです。30歳の区切りを迎えて柔道をやっていたころの情熱が戻ってきた気がします」

退院後、リハビリ生活を経て1年。ジムに入ってトレーニングを始めたものの、そこは女子ボクサーを育成する環境とは程遠かった。「本気で挑戦するんやから、全力で取り組める所で」と再びジム探しを始めて、たどり着いたのが現所属先のミツキボクシングジム。「選手たちの目がキラキラ輝いていたから」と、奥田は入門の理由を話す。探し求めていた理想のジムと出会い、トレーニング、体の作り直し、パンチの打ち方とボクシングの基礎を学んでいった。

サウスポーじゃないのに

プロライセンスを取得してリングに立つ準備を進め、ボクシンググローブをはめた約1年後にデビュー戦を迎えた。しかし、結果はTKO負け。柔道を始めたころは、すぐに結果を出せたが、ボクシングはそう甘くなかった。

「体力的にも余裕はあったんですけどね。ガードの仕方すらわからなかったし、試合に出るのが早かったんちゃうかなとか、余計なことを考えていました。試合後の落胆ぶりを見たジム仲間に『辞めないでくださいね』と言われて、これは勝つまで絶対やめられへんぞって。負けたままでは悔しくて、恥ずかしくて。プロでやっていく覚悟が決まった瞬間でもありました」

ほろ苦いデビュー戦は、経験、プロとしての自覚が足りていなかったほか、もっと重大な敗因があった。それは「サウスポー(左利き)スタイル」。

普段、奥田は何をするにも右手を使う。柔道時代も右手前で構えて組手争いを制し、利き手を使って強烈な技を繰り出すことで試合を有利に運んでいく。

ところが、ボクシングでの右手前の構えは本来サウスポーが行うもの(中には、右利きでもあえてサウスポースタイルを取るボクサーもいる)。皮肉にも長年体に染みついた習慣が、ボクサー・奥田の可能性を狭めてしまっていた。大きな“勘違い”をしながらも、プロライセンスを取得できたことに驚くが…。

「何か体にしっくりきていたんで、これ(サウスポー)でええんかなと(笑)。オーソドックス(左手前)に戻してからは、確かにパンチに力も乗るし、重心もしっかりしてきてやっとボクサーらしくなってきたと感じました。間合いや相手との駆け引きも柔道の感覚だったんで、いったん柔道は忘れて0からやり直すことにしました」

本来のスタイルに戻し、改めてボクサー仕様の体、考えに変化させていった奥田。手足が長い自らの特徴を生かしたスタイルも確立した。

プロ2戦目で初勝利を飾ると、その後4連勝と完全に勢いに乗りステップアップを果たした。2018年には大きな試合(日本バンタム級王者挑戦者決定戦)も経験。結果は判定負けだったが、確かな手応えを感じていた。

そして、2020年冬、ボクシングを始めてから約5年。OPBF東洋太平洋・日本女子バンタム級王座決定戦を制し、2冠を達成した。前回の試合で勝てなかった相手との再戦だったが、見事に壁を乗り越えてみせた。

「1位になれへんかもしれない」と、勝てない自分を嘆いていた奥田はもういない。自らの思いと努力の末に“運命”を覆したのだった。

<特別編に続く>

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奥田朋子選手所属ジム: ミツキボクシングジム

30歳からのスタート、“運命”を変えて勝ち取った女王の座 ~ボクシング・バンタム級 奥田朋子 前編~

2020年1月、女子プロボクシング・バンタム級王者に就いた奥田朋子(ミツキボクシングジム)。学生時代は柔道の強豪選手として活躍し、教職の道へ進んだが、30歳を区切りにプレーヤーとして新たな挑戦を始めた。ボクシング歴6年で頂点へと上り詰めた奥田の人生を追った(全3回)。

1位になれへんのか、私…

ボクシング女王の原点は、中学のころに出会った柔道だった。幼少から習字やピアノなどの習い事、友達の影響で始めた水泳といろいろななことに興味があった。中学では水泳部に入るが、遊ぶことの楽しさを覚えていつしか部活に行かなくなってしまった。

「体が大きかったし、声も大きかったんで(笑)、目立つ存在だったと思います。何かあると『奥田さんたちが~』って。エネルギーがあり余っていたんでしょうね。活発過ぎる少女でした(笑)」

奥田のただならぬ”存在感”に目をつけた柔道部の顧問から「お前なら全国で優勝できる力がある!」と言われ、意気に感じて柔道部へ。それからは柔道に没頭した。日中の部活動に加えて夜にも柔道教室に通うほど夢中になり、メキメキと実力をつけた奥田は、柔道を始めて2年足らずで全国大会に出場するほどになっていた。

「柔道とは相性が良かったんだと思います。私も負けず嫌いですし。全国大会もたまたま出られたという感じ。それまでは全く勝てなかったのに、最後の大会だけ勝って。柔道は基本、個人競技ではあるんですが、チームメイトと苦楽を共にした経験ができました。今、ボクシングをやっていますけど、ジムにいる人と一緒に頑張っている一体感みたいなのは同じかなと感じています」

全国レベルの柔道選手になっていた奥田は、岐阜県下の柔道強豪校・鶯谷高校に進学した。中高のレベルの違いに戸惑いながらも、稽古に力を注ぐ日々が続いた。当時の高校女子柔道は団体戦が中心で、個人戦は春の武道館しか実施していなかった。県内でも屈指の実力を持っていた奥田は当然、個人戦での最有力選手と目されていた。

しかし、団体戦のメンバーとして全国大会に出場できるものの、個人戦では中学時代とうって変わってなかなか実力が発揮できず、高校1、2年の2回のチャンスも共に県決勝で敗退してしまった。「実力はあるはずなのに実戦で力を発揮できない」―奥田は高校時代を「暗黒時代」と言い、「私はずっと1位になれへんのかもしれない」と思うようになっていた。

心を強化して成績が向上する

母親が教師だったこともあり、奥田もいつしか教師になることを目標にしていた。高校卒業後は柔道推薦で立命館大学文学部に進み、教育心理学を専攻。奥田自身、大事な試合で勝てなかった原因としてメンタルの部分が大きかったと考えていたこともあり、授業の内容を練習や日常生活で実践しようと考えていた。

「心と体がバラバラというのか。勝ちたいと思えば思うほど、体が緊張して力が出せないことに気づいたんです。それならリラックスすればいいと思うんですが、自分の型にバチッとハマるものがなかなか見つかりませんでした」

メンタル訓練の手法を探している中、大学3年の時に授業で習った「自律訓練法」が自身を前進させるきっかけになった。自律訓練法は簡単に言えば「自己催眠をかけてリラックス状態を保つ」もので、うつ病にも効果があるとされる。知識や準備も必要な上、適切な手順で進める必要があったが、授業の課題でもあったため試しに実践してみることにした。

「競技によって違うと思うんですが、柔道は副交感神経(リラックス状態)優位にした方がパフォーマンスを発揮できるという研究データがあって、過度に緊張していた以前の私の状態では力を発揮することは難しかった。その点から、自立訓練法は自分の欠点を克服する最適な方法でした。余計な力が入らない分、疲労のたまり具合も軽減され、練習の質も上がりました。試合でも緊張せずに力を発揮できるようになったかなと感じましたね」

心の強化に成功し、大きな大会でも好成績を上げられるようになり、自らを向上させてくれた心理学の理解に一層力を入れるようになった。卒業論文では自らを”被験者”として競技と心理学の研究を行い、目標だった教職員免許も取得した。

若いからこそいろいろな経験を積んでみる

柔道に没頭したそれまでを振り返って「柔道から少し離れてみよう」。この思いから大学卒業後はアパレルメーカーの営業職に就く。柔道以外の道で頑張ろうと張り切っていたが、いつしか柔道をやっていたころと比較するようになっていった。

「『私、全然頑張っていない』。そんな気持ちやったんです。エネルギーはあるのに、頑張れない。どうも空回りしていたみたいで。食事も満足にできず、摂食障害気味になって、体重もどんどん落ちていきました」

沈んだ心と体を取り戻してくれたのは柔道だった。もともと指導者、教育者を目指していた奥田は原点に戻ることにした。アパレルメーカーを退社して立命館大学大学院に入り直し、大学時代に学んだ心理学をもう一度勉強した。恩師の協力で、コーチとして稽古にも参加させてもらえることになった。

「大学生の時は卒業するために勉強したようなところがあって、本当に中身があったのかなと。きちんと身につけようと、大学院でもう改めて研究しようと思いました。学校が閉まるギリギリまで残って勉強しましたね」

大学院で過ごした3年間を実のあるものとして、その後1年間海外生活を経て、教職に就くことになった。

<中編に続く>

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奥田朋子選手所属ジム: ミツキボクシングジム