しっかりした咀嚼は健康の秘訣

厚生労働省は一口に30回以上噛んで食事することを推奨しています。これは2009年に公表された「歯・口の健康と食育~噛ミング30(カミングサンマル)を目指して~」という文書で示されました。

咀嚼の健康効果を健康づくりや食育の視点から国も認めており、私たちも日常でぜひ意識したいものです。

十分な回数で咀嚼をすれば唾液の分泌が促進され、虫歯や歯周病の予防効果も認められます。しかも、しっかり噛むことで栄養バランスも良く摂取できますから、高血圧症や糖尿病等の生活習慣病の予防につながることも知られています。

また、安定した咀嚼をすることによって認知症の予防や進行抑制に効果が認められるとされ、しっかり噛むと脳の血流量が増加し、脳細胞が活性化することを裏付けています。

指先の細かな作業が認知症の予防に効果的で、リハビリテーションの一環として活用されていますが、口の中も指先に負けず劣らず神経が集中しています。脳活性化の観点では、しっかりした咀嚼は指先の作業以上に効果が期待できるともいわれています。

わが国の認知症の現状

毎年、敬老の日の前後に総務省統計局から発表される日本の高齢者人口ですが、2023年9月現在の65歳以上の高齢者人口は約3623万人となり、前年(2022年)よりは減少したものの、高齢者人口率は29.1%で過去最高となりました。

わが国での65歳以上の認知症の有病者数は約600万人(2020年現在)と推計され、2025年には約700万人(高齢者人口の約20%)が認知症になると予想されています。

認知症は「記憶障害のほかに、失語、失行、失認、実行機能の障害が1つ以上加わり、その結果、社会生活あるいは職業上に明らかに支障をきたし、かつての能力レベルの明らかな低下が見られる状態」と定義されています。

「アルツハイマー型」「血管性」「レビー小体型」などの認知症に分類されますが、最も多いアルツハイマー型が約半数を占めます。

以上は三大認知症と呼ばれ、各病態に応じた治療や対応が必要となりますが、咀嚼の認知症に対する有効性が近年、多く報告されていますので紹介しましょう。

咀嚼は認知症を抑える

2021年に日本歯科総合研究機構の恒石美登里氏らが報告した研究1)では、2017年4月に歯周炎もしくは歯の欠損を理由に歯科受診した60歳以上の患者、それぞれ約401万名、約66万名を対象として、アルツハイマー型認知症病名の有無との関連性について調査を実施しました。

その結果、性・年齢の影響を統計学的に取り除いても、歯数が少ない人、欠損歯数が多い人ほどアルツハイマー型認知症のリスクが高いことが判明しました(図1)

図1 歯数とアルツハイマー型認知症の関係

この研究結果は、歯を失った数が増えれば脳の萎縮が進行し、認知症が悪化する可能性を示唆しています。

歯とその周囲には非常に多くの神経が密集しており(図2)、例えば虫歯で歯が痛くなるのは歯の中にある「歯髄」の神経が刺激されるからであり、食べ物の硬さによって微妙な噛み合わせの力加減を調節するのは歯根の周囲を覆う「歯根膜」の神経の役割です。

当然ながら歯を失ってしまうと、それらの神経も失われます。その結果、脳を刺激する神経的な情報が減少し、認知症の進行を早める可能性があるのです。

図2 歯の構造(歯冠~歯根)

さらに、2017年に山本龍生氏が報告した研究2)では、要介護認定を受けていない65歳以上の4425名を対象として、歯数と義歯(入れ歯)の使用状況を調査後、認知症に伴う要介護認定を4年間追跡調査しました。

その結果、年齢・所得や生活習慣などの影響を取り除いても、歯の数が少なくて義歯を使用していない人は20本以上の歯がある人と比較して、認知症の発症リスクが2倍近くも高くなることが明らかになりました(図3)

図3 認知症に対する義歯の効果

その一方で、歯が少なくても義歯を使用すれば20本以上の歯がある人と比較して認知症の発症リスクに有意差がなかったため、歯が少なくても義歯を使用することによって認知症の発症リスクを下げることができる可能性が示唆されました。

では最後に、よく噛むために生活面や介護時にできる内容を挙げてみましょう。

しっかり咀嚼するためには、どうすればよいか?

一概に「噛む」といっても、食事する本人の意識次第だということもできますが、食べ方の工夫をすることによって噛む回数を増やすことができます。

例えば、一口の量は少なめにして食べ物の形がなくなるまで意識して噛む、飲み込んでから次の食べ物を口に入れるなど、時間をかけて食べることが大切です。

また、食事を提供する側が調理に一工夫を加えることで「しっかり噛める」ようにすることもできます。

例えば、具材を大きめ・厚めに切る、硬めに茹でる、歯応えのある食材(根菜、海藻、キノコ類など)を使う、軟らかい料理に噛み応えのある食材を混ぜるなど、ちょっとした工夫で自然と咀嚼する回数を増やすことができます。しかも、しっかり噛むことによって食事への満足度アップにもつながります。

加熱調理で軟らかくなってしまう野菜も、サラダのように生で食べることによって歯応えを維持することができます。食物繊維の豊富なゴボウなどの野菜はしっかり噛めることに加えて、便通もスムーズにしてくれますから、腸の中をキレイにできて一石二鳥といえます。

以上より、栄養バランスのよい食事をしっかり噛んで認知症予防につなげることができるように、歯磨き(口腔ケア)で大切な歯を守りましょう。(島谷浩幸)

【参考資料】
1) Midori Tsuneishi et al.:Association between number of teeth and Alzheimer’s disease using the National Database of Health Insurance Claims and Specific Health Checkups of Japan, PLoS One, 30, 16(4) e0251056 (2021)

2) 山本龍生:歯科から考える認知症予防への貢献, 日本口腔インプラント学会誌, 30(4) 230-234 (2017)

島谷浩幸(歯科医師・歯学博士/野菜ソムリエ)

1972年兵庫県生まれ。堺平成病院(大阪府)で診療する傍ら、執筆等で歯と健康の関わりについて分かりやすく解説する。
大阪歯科大学在籍時には弓道部レギュラーとして、第28回全日本歯科学生総合体育大会(オールデンタル)の総合優勝(団体)に貢献するなど、弓道初段の腕前を持つ。

【TV出演】『所さんの目がテン!』(日本テレビ)、『すこナビ』(朝日放送)等
【著書】『歯磨き健康法』(アスキー・メディアワークス)、『頼れる歯医者さんの長生き歯磨き』(わかさ出版)等
【好きな言葉】晴耕雨読
【趣味】自然と触れ合うこと、小説執筆
【ブログ】blog.goo.ne.jp/shimatanishixx
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