誰もが一度は食べたことのある「おにぎり」を深く考えてみる
おにぎりは古くから存在したとされ、奈良県の唐古・鍵遺跡からは握りこぶし大の炭化米(炭化米ブロック)が発掘されている。これが、当時の人にとってのおにぎりだった可能性もある。米とともにあり、日本人が最も長く食べてきた物であるのは間違いない。
弁当、夜食、補食、小腹満たし、ダイエット・・・さまざまなシーンで登場する機会の多いおにぎりだが、何をもって「おにぎり」というのだろうか? 当たり前過ぎてあまり深く考えたことがないが、特集を機に考察していこう。
おにぎりの普及とグローバル化を目指す「一般社団法人 おにぎり協会(神奈川県鎌倉市)」代表理事で、おにぎり研究の第一人者の中村祐介さんは「正確にいえば、定義はありません。だからこそ、無限の可能性をもっているんです」と話す(以下、中村さんの話を基に記事を構成)。
「広義でいえば、米同士をくっつけて、ワンハンドで食べられる物。例えば、寿司だと魚介類しか使いませんが、おにぎりは梅干しもあれば、ツナマヨもあり、牛肉を使っている物もある。サンドウィッチの具材も活用できるので、食材は不問。自由度が非常に高い料理ですね」
米は世界中で生産されているが、米をくっつけて形作るおにぎり文化は今のところ日本にのみ存在する。日本では粘り気のあるジャポニカ米が作られているが、その他の地域では粘り気のないインディカ米が主流で、そもそも米同士がくっつきにくいから、おにぎりの発想自体出てこないのだ。
旅のお供におにぎりを 三角型は富士山信仰のなごり!?
「おにぎり」の文字が歴史書に初めて登場したのが常陸国の風土記で、「にぎり(飯:いい)めしの国」と記述されている。また、有名な源氏物語にもおにぎりの原型とされる「とんじき」が記されている。とんじきは、主に農作業をする人たちの食べ物だったが、上流階級の慶事や祭事を手伝った人に感謝をもってふるまわれ、身分問わず食べられていたことがうかがえる。
おにぎりが爆発的に市民へ普及したのが江戸時代。「第1次おにぎり革命」である。戦国の世では兵糧として活用されていたおにぎりも、徳川家康の天下統一によって軍事物資としての役割をいったん終えた。
戦がなくなったことで道中の安全が確保され、市民が旅に出やすくなり、持ち運びやすくてワンハンドで食べられるおにぎりは、たちまち携行食(モバイルフード)としてのニーズが高まった。その証拠に、東海道五十三次に関連する文献や資料にも「おにぎり」の記述が頻繁にみられ、特に伊勢地方では、クチナシの実を煎じて炊いた米を乾燥させた「瀬戸の染飯(そめいい)」が非常食として大人気だったという。天才浮世絵師・葛飾北斎も題材として取り扱うほど、おにぎりは市民の食生活に深くなじんでいった。
市民への普及に加えて、形の進化も始まったとされる。江戸時代は旅の流行に伴って、富士山(山岳)信仰も盛んだった。当時、富士山は女人禁制のため、山に入れない女性が自身の信仰心を富士山に模した三角のおにぎりで表し、代理で参拝に行ってもらう男性へ渡していたようだ。富士山が見える関東地方で特に三角型が多かったこと、三角にすると移動中や登山中も型崩れしにくかったことから、三角おにぎりのルーツ=富士山信仰説が根強い。ちなみに、戦時の日本軍も、長距離移動を余儀なくされる陸軍が三角型、それほど移動をすることなく艦内の食堂で食べられる海軍は丸型と、使い分けられていた逸話もある。
米がたくさん獲れない地域では、葉物野菜などでかさ増ししやすい丸型が主流で、観劇など町人文化が発達していた関西地方では、幕の内弁当から派生して俵型おにぎりが誕生。寒さでおにぎりが凍ってしまう東北地方では、火に当てて温めやすくするように、あぶる面積の広い円盤型に改良された。このように、食べる環境や用途を追求した結果、おにぎりは今に残る形に分岐していったのだ。
コンビニおにぎりの台頭と世紀の大発明「ツナマヨ」
「第2次おにぎり革命」は1970年代に起きた。コンビニエンスストアの出現で、おにぎりは「作る物」から「買う物」に変化した。コンビニ登場以前でも、おにぎりは専門店や百貨店で販売されていたが、流通量は今ほど多いとはいえなかった。ちょうどこのころ、交通網が急速に発達したことで各地の食材が手に入りやすくなり、福岡県の名産・明太子がおにぎりデビューを果たすなど、使用具材にも変化が出てきた。
そして、1980年代に入ると、突如として現れた「ツナマヨネーズ」が具材の概念を一変させた。古くから梅干し、おかか、昆布が定番だったが、油っぽさを加えたボリュームのあるツナマヨは市民に衝撃を与えた。低価格帯のコンビニおにぎりと食べ応えのあるツナマヨの組み合わせは、文化を生む若い世代を釘付けにし、たちまち市民権を得た。「おにぎりは三角形」のイメージも、各地に配送するため、型崩れを防ぐ必要のあるコンビニおにぎりによって定着したものだ。現在に至るまでさまざまな具材が誕生しているが、ツナマヨの牙城を崩すには至らず、その人気は他を圧倒している。
「スティックおにぎり」、「おにぎらず」など形状が変化したり、米と他の穀物をブレンドした物だったり、おにぎりは今なお進化を続けている。また、地域の食材を使った47都道府県ごとのご当地おにぎりが存在していて、富山県なら名産のとろろ昆布をのり代わりに巻いたり、北関東ではおにぎりに生みそを塗ったり、地域性や独自の食文化を加えて、さらに多様化した。
「おにぎりがここまで注目されているのは日本史上初めてなのでは」と、中村さんは話す。「おにぎりは究極のおうちめし。各家庭で工夫され、当たり前のように食べられていたので、書物に残したり、後世に伝えたりする対象ではなかった。今は、SNSなど自身で発信する手段があって、作ったおにぎりを他の人に見てもらうことで、ある意味形として残る。人の数だけ創作おにぎりがあるので、今後いろいろなおにぎりが発明される可能性が高い。まさに、おにぎり戦国時代といえますね(笑)」。
2回の大革命を経て進化を遂げたおにぎりは、誰でも発信できる時代に乗ってまだまだ形を変えていきそうだ。
「おにぎりは・いまもむかしも・しょうぶめし!」 勉強、スポーツ、食育にも
おにぎりは、「勝負の時」に食べられてきた歴史がある。戦国時代には武士や忍者が携行し、戦いや任務に臨んだ。明治から昭和20年まで続いた戦争期も日本軍はおにぎりで乗り越えてきた。現代に入って生死にかかわる争いごとはなくなったが、「ここぞ」という時の勝負飯として名残はある。
運動会の昼食、受験勉強の時の夜食、大事な試合や大会での食事・栄養補給・・・こうした勝負するタイミングで、おにぎりを食べていた記憶がある人も多いのではないか。ガッツリ食べてしまうと、体が動きづらくなったり、眠くなったりしてパフォーマンスに響く。おにぎりなら、消化もしやすくエネルギーになりやすい。昔の人は、おにぎりがもつ機能性を検証したわけではないが、感覚的に「使える物」とわかっていたのだろう。
特に、スポーツや運動シーンでの米やおにぎりの有用性については、当サイトでも伝えてきた(関連記事:①おにぎりとスポーツ食育、②米とスポーツ栄養学)。中村さんもスポーツ分野とおにぎりの可能性を模索しており、過去には東京マラソンでの配布や運動シーンで役立ちそうな機能性成分を含む具材を使ったおにぎりの開発などの活動をしてきた経緯がある。
「まず、スポーツ栄養学の専門家がおっしゃられるように『補食』としての機能が高いと思います。それに、カーボローディングとまではいかないものの、エネルギー補給に適していることは栄養学的にも歴史的にも示唆されています。これらの他に、トップスポーツ選手の場合で考えると、海外遠征した時に食べ慣れない物を食べるストレスは競技に影響すると思うので、手軽に用意できてなじみのあるおにぎりを食べることは競技に集中できるメリットを生むと考えています。
スポーツや運動とおにぎりの融合についてはそれほど深堀りできているわけではありません。難しいとは思いますが、おにぎりを食べた後の効果を検証してエビデンスを作るとか、データを取ってより効果の高い具材づくりを進めるとか。ここまでできれば、違った側面からおにぎりの価値を高められるのではないのでしょうか」
スポーツや運動シーンでの活用はもちろんだが、食育でもおにぎりが果たす役割はある。中村さんによれば、食の細い子供におにぎりを出すとしっかり食べてくれると、保護者からの評判が高いそうだ。子供にとって箸と茶碗でご飯を食べるのは少しだけストレスになるが、おにぎりはそれがなく食が進むので、成長を促すための食べ物としても使える。
また、温かくても冷めても基本、おいしく食べられるおにぎりは、冷めると米のでんぷんが変質し、レジスタントスターチ(難消化性でんぷん)になる。消化しにくい=食後血糖値の上昇が緩やかになるため、ダイエット中の食事や持久系運動のエネルギー源として活用できそうだ。
産業革命後から続く労働形態に合わせた「1日3食」は、リモートワークや時差出勤、職種による昼夜逆転の生活を考えるとなかなか難しい。しかし、時と場所を選ばず、機能性を持ち合わせたおにぎりは、たとえ時代の流れで生活スタイルが変化しようとも“対応”できる食品といえよう。
ONIGIRIの魅力を世界へ発信! 各国の食文化にも対応
おにぎり協会では、おにぎりの魅力を世界へ発信するために積極的な活動を行っている。おにぎりの魅力を知った外国人に対して海外で出店するためのサポートをしたり、日本で定めるおにぎりの統一規格を作って国内外で作りやすい環境を整えたり、世界進出に抜かりはない。
ただ、おにぎりを世界へ広げるために大きな問題がある。それは物流だ。おにぎりの素になる米は、小麦のように世界中を循環する市場システムになっていない。なぜなら、米はどの国でも自給できてわざわざ他国から買う必要がないからだ。米の消費量が多いフィリピンでは、天候不良で米不足に陥った際、他国からすぐに輸入できず、米を買えない一部市民が騒ぎ立てる事態にまで発展した。
市場システムの問題以外に、日本の地理的な要因も挙げられる。四方を海に囲まれた日本から海外へ輸送する手段として航空機や船があるが、トラックなどの陸運と比べると非常にコストがかかる。こうした背景から、おにぎりに適した日本米自体が世界に進出しにくい事情がある。それでも、状況を打破すべく、日本の農家の人たちが他国に渡って日本米を作り、現地で流通させようと活動している。また、おにぎりの魅力を広めようと、海外に渡っておにぎり専門店を開業する人たちもいる。着実におにぎりは世界に広がっている。
「自分たちだけでは解決できない大きな問題はあるものの、市民レベルでやれることをやっていきたいと思っています。健康意識の高いアメリカ人には『ダイエットにいい』と説明し、日本文化に関心が高いフランス人には『武士や忍者も食べていた』と、イメージしやすいように伝えています。世界的にノンアレルゲンの雑穀や米は再評価されていて、カナダでは雑穀をスーパーフードとして売り出しています。ですから、米の価値が高まっているこの機会におにぎりの魅力も発信していきたいと思っています。
海外には米を炊くという概念がないので、『炊き上がった後、何で水がなくなっているの?』と聞かれるくらい、まだまだ理解してもらっていない部分があります。日本の食文化、米の特性も含めて、海外の人にはおにぎりを知ってもらいたいですね」。中村さんはこうも語る。
「都道府県ごとにおにぎりが存在するように、それぞれの国の文化や食スタイルに合わせて、カスタマイズすることが可能です。イタリアンおにぎりを作ったことがあるんですが、これが意外とおいしくて。赤ワインで米を炊いて、ブラックオリーブを細かく切った物をごはんに混ぜ込んで握り、生ハムを糊のかわりに巻いたら、イタリア人好みの味に仕上がる。こうした面白さもおにぎりならではですね。
どんな物を食べたいかで具材を考えるのも重要です。味が濃い具材であれば、負けないようにどっしりとボリュームのある米を組み合わせるとか。ツブツブ感を味わいたい人は大粒の米で握るとか。具材一つとっても機能性を求めるのか、おいしさを求めるのか、どこの産地の物を使うのかなどを考えると選択肢は多いですし、品種も加えると組み合わせは膨大になり、世界中の人それぞれがこだわりを持つことを考えれば、おにぎりは無限の可能性を秘めています。持ち運びの便利さを考えると究極のモバイルフードといっていいでしょう。
私は、おにぎりをみなさんにもっと知ってもらおうと活動していますが、同時におにぎりの魅力を再確認しているところでもあるんです」。
中村さんに話を聞いている間、「運動会で食べたおにぎりとから揚げの相性は抜群だったな」とか、「勝って最高にうれしかった試合の食事は確かおにぎりだったな」とか、過去の記憶をたどっていた気がする。思い出と強力にリンクする食べ物なんて、考えてみればおにぎりくらいしかないかもしれない。
米とともに日本人のそばにいつもあったおにぎり。持ち運びに便利で、具材を変えることで機能性を持たせ、各地の食材を使えばソウルフードに早変わりする。中村さんをはじめ、各国でおにぎりの良さを伝えようとする日本人の努力が実を結び、世界が日本米と「ONIGIRI」を知る日もそう遠くないはずだ。
【関連情報】
おにぎり専門メディア「おにぎりJapan」
協会おススメのおにぎり専門店
ぼんご
創業60年の老舗おにぎり専門店「ぼんご」。スタンダードな物からオリジナリティあふれる物まで、具材のバリエーションが豊富。2つの具材を組み合わせた「トッピング」も充実している。すじこ×サケの”親子おにぎり”が特に支持を集めている。具が多いため、大きめのおにぎりは食べ応え抜群。
〒170-0004 東京都豊島区北大塚2丁目27-5
営業時間:11時30分~24時
定休日:日曜日(祝祭日は営業)
浅草宿六
日本で唯一ミュシュランに評価された(ビブグルマン)おにぎり専門店「浅草宿六」。戦後間もない1954年創業で、東京最古の店として知られている。寿司店のような雰囲気を醸し出し、ショーケースには具材が並んでいる。コメ、海苔、具材など厳選を重ねた、店主こだわりのおにぎりが堪能できる。
〒111-0032 東京都台東区浅草3-9-10
営業時間:<昼>11時30分~<夜>17時(いずれもごはんがなくなり次第終了)
定休日:<昼>日曜日<夜>日曜日、火曜日、水曜日