東京五輪200・400m個人メドレーで、女子競泳史上初の2冠を制した大橋悠依さんは、昨年開催されたパリ五輪後に約20年間の競技生活にピリオドを打った。2025年4月からは、母校の東洋大学大学院でスポーツ栄養学を専攻し、競技生活で大いに役立ててきた食をさらに追求する。
前編は、競泳王国・日本をけん引した2冠女王の競技生活を振り返りながら、「食」との接点についてお送りする。【後編を読む】

1995年10月18日 滋賀県彦根市生まれ
<所属>
彦根市立東中学校 → 滋賀県立草津東高等学校 → 東洋大学 → イトマン東進(株式会社ナガセ) → イトマン特別コーチ
<主な成績>
五輪(2021):200m、400m個人メドレー(金)
世界選手権(2019):400m個人メドレー(銅)
パンパシフィック水泳選手権:(2018)200m、400m個人メドレー(金)
アジア大会(2018):400m個人メドレー(金)、200m個人メドレー(銀)、4×200m自由形リレー(銀)
ユニバーシアード(2017):200m、400m個人メドレー(金)
世界水泳選手権(2017):200m個人メドレー(銀)
アジア水泳選手権(2016):200m個人メドレー(金)、400m個人メドレー(銅)
予想外に長く続いた競技人生、名伯楽の下で…

偉大な競技者にはそれぞれに歴史があり、始まりも千差万別。東京五輪の競泳2冠女王は、幼稚園の年長から習い事の一環として水泳を始め、昨年のパリ五輪後に引退を表明するまで、人生の大半を水とともに歩んだ。
「水泳を競技として捉え、本格的に始めたのが小学2年生(8歳)の時。そのころ、ピアノや習字も同時に習っていて、すべてをこなすには日程的に厳しかったんです。それで、母から『どれを習いたい?』と聞かれ、水泳と答えたらしいです(笑)。
ピアノの発表会ではなぜか、弾く役ではなくて踊る役ばかり与えられるので、子どもながらに嫌だったのかもしれません。水泳なら仲のいい友達と会えるので、それも大きかったんだと思います」
水泳を始めて間もなく、全国JOCジュニアオリンピック大会(JO)に50m背泳ぎ(10歳以下)で全国レベルでの大会を経験。中学3年時には200m個人メドレー(13~14歳)で優勝を果たす。
「中3の時のJOは、世界ジュニア選手権に出場している選手がいない中での結果。自分では、『速い選手が出場していないのに、本当の優勝なんだろうか』と思っていましたね。世界で戦うという意識も全くなかったですし、まさかこんなに長く水泳を続けるとは思ってもいませんでした」
草津東高校に進むと、1年生から200m個人メドレーでインターハイ(IH)に出場(予選19位)、2・3年時には同3位の成績を残した。当時はのちの金メダリストより速い選手が何人もおり、大橋さんの言葉は真意ともいえる。
ただ、IHの成績だけを見ると、決勝ではいずれも予選時よりタイム・順位を上げて圏外から表彰台を確保しており、「本番型」「勝負強い」気質は当時からあったのだろう。
高校卒業後、競泳界の名伯楽・平井伯昌氏が教べんを執る東洋大学へ進む。大橋さんが「先生の存在が大きかった」と言うように、平井氏は科学的トレーニングをいち早く取り入れ、選手たちの強化を図り、のちのメダリストを多数指導している。
中でも、血中乳酸値の測定※)をすることで、選手たちのトレーニング効果を高めたり、コンディションコントロールに活用したりした事例は有名だ。
※東京大学・八田秀雄教授の研究により、乳酸はエネルギーの再生産に利用できること、乳酸=疲労物質ではないことが提唱され、自転車競技などのスポーツ現場では、選手の状態を図る指標として活用されている。
雌伏の時を経て、名伯楽の下で大橋さんが才能を開花させ、徐々に知られる存在となっていくが、成長曲線は食への意識の高まりと比例して右肩上がりになっていく。
生まれつきのアレルギー体質、母の献身と思春期の悩み
大橋さんは生まれつき、卵・甲殻類のアレルギー体質で、競技生活の中で人知れず向き合ってきた。特に卵は、手軽に摂れるたんぱく源でもあり、家庭での定番料理。母・加奈枝さんは人並み以上に食事に気を使い、大橋さんの競技生活を支えた。
「2・3歳のころ、卵・甲殻類の食物アレルギーがあることがわかったんです。当然、お弁当には、栄養があっていろいろなバリエーションのある卵料理を入れられない。食事を作る母は、メニューを考えるのがすごく大変だったと思いますし、とても感謝しています」
小学校の給食ではアレルギー用に個別の給食が提供されているが、どうしても学校で対応できないメニューの場合、加奈枝さんは卵抜きのお弁当を作って持たせ、大橋さんの体調に異常をきたさないようにしていたという。
アレルギー体質とつき合いながら競技を続けた大橋さんだが、実際どのような影響を及ぼしていたのか。
「実は、あまり困ることはなかったんです。卵は食べられませんが、肉が大好きなので、〝代替え〟としてのたんぱく源は十分に摂れていたと思いますね。ここは母が食環境を整えてくれたといえます。
むしろ、私生活の方で、問題というほどのことではないですが、思うことはありました。高校生の時、はやりのかわいいオムライスが食べられる店とか友達と行くんですけど、一緒に食べられない(楽しめない)。何かこう、自分にしかない悩みを解決する手立てはないのかということは考えていましたね。
栄養学を学びたいと思った理由の一つに、自身の境遇からアレルギーがなぜ起こるのか(作用機序の解明)に興味があったというのもあるんですよ」
多感な時期の大橋さんは、「特に不調だった時期はなかった」と話す。成長期(中・高)に陥りやすい女性特有のエネルギー不足を起因とする月経・骨障害(女子選手の三主徴:Female Athlete Triad)とは無縁だった。
競泳は、FATリスク(有症率)が比較的低い傾向1-3)を示す研究結果があるものの、競技問わず発症事例はあり、食生活も深く関連している。
大橋さんが不調もなく、競技に集中できた要因として、アレルギー体質で日ごろから食事の中身に目が向いていたこと、それが競技者にとって十分な食環境になっていたことが挙げられる。
大橋さんの成績向上は、体の基礎を作る成長期に適切な食事を提供し続けた、加奈枝さんの献身なくてはなし得ないことだった。
1) A・Schtscherbyna et al.: Female athlete triad in elite swimmers of the city of Rio de Janeiro, Brazil, nutrition, 25(6) 634-9 (2009)
2) A・Tenforde et al.: Sport and Triad Risk Factors Influence Bone Mineral Density in Collegiate Athletes, Med Sci Sports Exerc, 50(12) 2536-2543 (2018)
3) M・Edama et al.: The relationship between the female athlete triad and injury rates in collegiate female athletes, PeerJ (2021)
転倒して判明した「貧血」、食生活の改善から世界の舞台へ

高校までは母・加奈枝さんが築き上げた充実の食環境下で、特に不調を感じることもなく競技を続けた大橋さんだが、東洋大学で寮生活を送っていた大学1年生のころ、心身に異変が起きる。
「いつも通り練習をしているのに、タイムが一向に上がらないし、壁を蹴ってスタートした直後にすでに200m泳いだくらいの疲労感を覚えました。
トレーニングをして体力もあるはずなのに、階段を登り切ると膝に手を置いて一息つかないと動けない。周囲からは、『調子が上がらないのは気持ちの問題だ』と言われて…」
不調はメンタル面にも影響が及ぶ。
「タイムが上がらないので、気持ちがどんどん暗くなる。話してもポジティブなことが言えないので、雰囲気を悪くしてしまうんじゃないかと思い、ますます話さなくなる。あのころは悪循環に陥っていました」
心身の不調が実に9カ月間も続き、「なんだろうな」とモヤモヤしながら時が過ぎたある日、意外な形でその原因が判明した。
練習後に自転車で帰宅中、タイヤが溝にハマって転倒。擦り傷程度のケガで済んだが、時間が経つにつれて、足のつけ根のリンパが大きく腫れ上がってきた。調子がどん底のまま、日本学生選手権(インカレ)に強行出場するものの、結果は振るわなかった(大学2年時のインカレ:予選22位)。
インカレ終了後、加奈枝さんの勧めで、リンパの状態を見てもらうために帰郷。行きつけの整形外科に通院し、詳細を調べるため血液内科医師の診断を仰ぐと、鉄欠乏性貧血だったことがわかった。「もともと体力があるから動けているだけで、普通の人だったら倒れている」と、医師から言われるほど深刻な状態だった。
「自分の頭の中に『貧血』なんて文字はなかったので、解決する手段も病院に行くという発想も全くありませんでした。
原因がわかってからは、医師から処方された鉄剤、ビタミン剤を半年ほど服用しながら、母がクール便で送ってくれた食事で、症状を改善することができました。
あとから思うと、不調になり始めたころ、練習量が倍になったにもかかわらず、食事(エネルギー)量が不足していました。日ごろから、食生活を含め、競技に役立つことを自分なりに調べ、取り入れていましたが、いろいろと足りていませんでしたね。
それからというもの、寮の食事で必要な物が不足していれば意識的に補ったり、栄養についてより深く調べるようになったりしました」
食生活の改善と薬の服用で不調を脱すると、前年大敗に終わったインカレでは200m個人メドレーを制して雪辱を果たし、大学4年時にはインカレ連覇、日本代表入りと世界を狙える選手へと変ぼうを遂げる。その後の活躍は言うまでもない。
大橋さんにとって、食(十分なエネルギーの確保)がさらなる進化のポイントになったのは間違いない。
「体の中は見えないじゃないですか。だからこそ、食を含めてきちんと管理しなければいけないし、自分でコントロールできた人が速くなる、強くなるということですね」
激しい運動を伴うスポーツ選手は、男女問わず貧血に陥るリスクがあり、目に見えない〝病気〟でもある。パフォーマンスの低下はもちろん、メンタル面にも影響する。大橋さんは偶然が重なって原因が判明して食生活を改善し、その後の飛躍につながった。
大橋さんが貧血に苦しんだころから時代は進み、今は情報がたくさんある。もし、原因不明の不調が認められる場合、指導者は気持ちの問題で片づけず、選手や親御さんは貧血も疑い、医師の診断を仰ぐ。
世界最高峰で活躍した大橋さんが経験した不調から学び取り、競技生活や日常生活に生かしてもらいたい。【後編を読む】
