MLBユースアカデミー、競技力育成よりも地域支援を重視
メジャーリーグ(MLB)のワシントン・ナショナルズが運営する「ユースベースボールアカデミー」には、敷地内に畑があり、屋内のキッチンでは調理実習も行われている。
このように書くと、メジャーリーガー候補の10歳代の子どもたちが、アスリートとして必要な栄養の取り方を学んでいると思われるかもしれない。もちろんそのような要素も皆無ではないが、ナショナルズのアカデミーは全く別の目的を掲げている。
まず、MLBのユースアカデミー(ナショナルズだけはユースベースボールアカデミーが正式名称)についてお伝えしたい。このようなアカデミーを持つ都市は、ナショナルズの本拠地であるワシントンDCも含めて8都市にある。
アカデミーが最初に作られたのは2006年のことで、MLB機構によってカリフォルニア州コンプトンに誕生した。他にシンシナティ(レッズ)、カンザスシティ(ロイヤルズ)、フィラデルフィア(フィリーズ)、ヒューストン(アストロズ)、ダラス(レンジャーズ)にあり、これらはそれぞれのMLB球団の慈善事業部門(実際には球団とは別組織のNPOである)が中心となって作られた。また、MLB球団を持たないニューオリンズにもある。

私が実際に足を運んだのは、シンシナティ、カンザスシティ、ダラス、そしてナショナルズのアカデミーの4カ所だ。いずれもメイン球場のほかに、低年齢向けの小さい球場を複数持っており、さらに屋内練習場も充実している。
これらのアカデミーは非営利組織であり、低所得世帯の多い都市部にあることが特徴だ。アカデミーにやってくる子どもたちは誰でもウェルカムだが(申し込み順や競技チームのトライアウトなどの人数制限はあるが)、最も支援を必要とする子どもたちがアクセスしやすい場所に施設を設置している。
どこのアカデミーでも、野球とソフトボールを指導し、競技に秀でた子どもたちをさらに伸ばすということをしている。しかし、どちらかといえば、教育と周辺地域の生活水準の向上がメインの目標なのである。子どもに野球やソフトボールを楽しんでもらい、学力をつけられるように助け、保護者や地域へのサポートもしているのだ。
私が訪れた4カ所は、どこも勉強する部屋を多く設けていた。シンシナティでは、大学生たちが小・中学生の宿題を見守っており、ダラスでは家庭にPC端末がない子どもたちが、学校の課題や宿題のために使うコンピューター室があった。誰もがメジャーリーガーになれるわけではない。シンシナティでは担当者が「メジャーリーグ級のよりよい市民を育てることがゴール」と話していた。そのために必要な学力やライフスキルを身につけてもらおうとしているのだ。
地域を包むナショナルズの食育、運営支える「寄付文化」

前置きが長くなったが、ナショナルズのユースベースボールアカデミーに戻ろう。
このアカデミーは、「食」に力を入れているのが最大の特徴だ。
屋外には子ども用の球場が2面、標準サイズの球場が1面、建物の1階はロビーと屋内練習場がある。2階には教室があり、その隣には立派な家庭科調理室といった雰囲気の部屋がある。そして、グラウンドの端には小さな農園スペースがあり、野菜を栽培しているのだ。
施設の運営担当者はこう語る。
「低所得世帯の多い地域で子供たちに野球を教えているMLB球団は他にもありますが、ここでは、野球のほかに学習と生活技術を教えているのが特徴です。『野球は選手を生みだすだけでなく、より良い市民を育てる』ことを合言葉にしています」
お金も、調理するスキルもないとき、どのようにして空腹を満たすか。安くてカロリーの高いものを買うのが手っ取り早い。しかし、それを繰り返していると必要な栄養素が取れないまま、体重だけが増えていく。調理できるという自信や、自分で少しでも食物を栽培した経験があれば、お金の制約はあっても、健康的な食事を準備する助けになる。
日本では小学校の家庭科で調理を学習する機会があるが、アメリカでは公立学校の一部でしか行われておらず、大多数の子どもはそのような機会を持っていない。
どのように調理を学んでいるのか。夏休み期間の一例を取り上げよう。
このアカデミーでは夏休み期間中に日帰りの「キャンプ」を行っている。このキャンプは、野外キャンプなどとは違って、野球やソフトボールのほかに、さまざまな活動を経験してもらう。その活動の一つが料理である。
地域の食料支援団体「DCセントラル・キッチン(DC Central Kitchen)」と提携し、いわゆる食育の専門家から栄養についての知識と調理の実際を学んでいる。カリキュラムは、食を手段として身体を強化し、心を育み、コミュニティを構築することを目標としていて、DCセントラル・キッチンのミッションとユースアカデミーの目指すものが一致している。
初回は、基本的な包丁の切り方、材料の計量法、レシピの読み方。第2回では炭水化物・タンパク質・脂質などの機能と、それらを含む食材の見分け方。第3回では新鮮なハーブの識別と多様な風味の探求を学び、第4回では食料システムについて理解を深めたという。
最終回は、学んだ知識をもとにチームにわかれて、それぞれがレシピを考案し、実際に調理をして食べる。過去には「タコスのレシピを考案する」というお題が出されたこともある。タコスは、牛肉・鶏肉・豆類をベースに、様々な野菜トッピングや調味料を選べるので、課題にぴったりということである。
MLB球団が支援するアカデミーだけに、現役のメジャーリーガーに触れあう機会もある。最近ではジョサイア・グレイ投手も、この調理室で子どもたちとともにオムレツの作り方を習ったのだという。
もちろん、食の教育だけでなく、子どもたちのお腹を健康的な食べ物で満たすことにも力を注いでいる。
「空腹のままでは、遊ぶことも学ぶこともできない」という理念のもと、2013年の放課後プログラム開始当初から、子どもたちがやってくると栄養価の高いおやつを配る。夏休みの活動では、朝食、昼食もアカデミーが提供する。
また、アカデミーは地域においても食の拠点であろうとしている。
2018年より、アカデミーに通う生徒の家族や地域住民に対し、新鮮な地元の農産物を低価で販売している。4人家族が1週間過ごすのに十分な量が含まれており、2020年のパンデミック以降、その需要は高止まりしているそうだ。
これらの活動を支えているのは、チャリティ・寄付のカルチャーだ。
このナショナルズ・ユースアカデミーの運営財源は、球団と協力関係にありながら慈善事業を行う別組織の「ワシントン・ナショナルズ・フィランソロピー」を通じて集まった寄付と、アカデミーに直接寄付をした人たちのお金によってまかなわれている。
100万ドル(約1億5000万円)以上の寄付者リストには、ナショナルズのオーナーであるラーナー家やナショナルズ球団そのものに加え、地元のクラーク財団に加え、ワシントンD.Cも名を連ねる。
また、50万ドル(約7500万円)以上の寄付者には、デルタ航空や通信大手のベライゾンといった大企業と並んで、かつてナショナルズに所属したマックス・シャーザー夫妻の財団、ライアン・ジマーマン夫妻の財団などが名を連ねている。彼らは、自分が所属したコミュニティに対し、富を還元している。
先日、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手も自身の財団設立を発表したばかりだ。彼がこれから行っていく活動も、大きくはこのような形での貢献を目指してのものだろう。(谷口 輝世子)

谷口 輝世子(在米スポーツライター)
アメリカのプロスポーツから子どものスポーツまでをカバー。著書に「お金から見るアメリカの運動部活動(生活書院)」など。





















