2012年末に大阪府の桜宮高校バスケットボール部で起きた事件1を機に、「部活動の暴力問題」は日本社会の課題として浮上した。あれから10年以上の月日が流れたが、「指導者による暴力」は消えていない。
後編では早稲田大学・中澤篤史教授とともに、指導者・子ども・保護者の価値観や制度の構造的欠陥からその根本原因を探る。
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中澤 篤史 / Atsushi Nakazawa
1979年大阪府生まれ。東京大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科修了。博士(教育学、東京大学)。一橋大学大学院社会学研究科講師・准教授を経て、早稲田大学スポーツ科学学術院准教授から現職。運動部活動のあり方や問題などを専門的に研究している。
著書に「運動部活動の戦後と現在:なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」「そろそろ、部活のこれからを話しませんか:未来のための部活講義」、「『ハッピーな部活』のつくり方」「Beyond the “Black Clubs”: A Youth Sports Manifesto for Japan and Abroad」など。
部活動で暴力が絶えない背景とは?

編集部 指導者による暴力がなぜ起きるのかを考えてみたいと思います。
背景として、指導者自身の暴力への無自覚さ、(暴力を甘受する)子どもたちの意思や保護者の価値観などが挙げられますが、どのように考えていますか?
中澤篤史教授(以下、中澤教授) それらは原因になっていると思います。
加えて体罰の歴史については、前編でも触れた「体罰と日本野球」の著者である中村哲也氏が詳しく、体罰がなくならない原因の一つとして「移籍のしづらさ」を挙げています。
子どもが「合わないな」と感じていても、チームや学校を簡単には変えることができないので、暴力など指導者から受ける理不尽にも我慢せざるを得ない。
指導者としては、子どもたちが逃げられない状況なので強い態度で当たれる。こうした圧倒的な上下関係が成立します。
編集部 アメリカだと、ステップアップなど背景は異なるにしろ、学校やチームを変えるケースが結構ありますね。
中澤教授 それから「寮生活」。極めてクローズドで、長期間社会から隔離された全制的施設が暴力の温床になっているのではないかといわれますね。
あとは、「出場機会」の問題。
レギュラーで試合に出られれば、競技に集中できますが、そうでない控え選手の場合、割と空いている時間が多いので、下級生をいじめたり、喫煙したりするなどの問題が起きやすくなるとも指摘されます。
そうした〝不良生徒〟を管理する手段として、指導者が手を上げるケースがあります。
体罰は子どもを成長させるのか? 科学が示す「効果」と「錯覚」
編集部 管理手段としての暴力、強くさせるための暴力と正当化されていますが、そもそも暴力が子どもたちの成長に役立つのでしょうか?
中澤教授 効果があるのか、ないのか。両面から見ていきましょう。
まず、「暴力に効果はない」という根拠として、日本行動分析学会が示した科学的見解が役立ちます。
学会では、人間に刺激を与えた時の学習のされ方、簡単にいえば、「何をどうやったら行動が変わるか」といった研究結果が数多く出ています。
少しだけ専門的な話もしておくと、人間が刺激を受けて行動を変える、これが学習ですね。
ご褒美をもらったからやるようになったり、罰則がなくなったからやらなくなったり。
こうした刺激には、ご褒美のように、刺激が与えられる場合(「正」と呼びます)と、罰則がなくなるように、刺激が奪われる場合(「負」と呼びます)の2種類があります。
そして、行動変化の方は、その行動が増える場合(「強化」と呼びます)と、行動が減る場合(「弱化」と呼びます)の2種類があります。
つまり、学習には刺激と行動変化の2×2のパターンがあります。
すると体罰は、失敗したときに暴力という刺激を与えて(正)、その後に失敗という行動を減らそうとする(弱化)わけです。
しかし、この「正の弱化」という学習パターンは、一般的に効果が薄いことが科学的に知られています。「罰を与えてやらせない」というのはうまくいかないわけです。
そうした科学的知見を元にして、2014年に学会は「体罰に反対する声明」を打ち出しました。
その中で、暴力を用いても、成長にはほとんど効果がなく、むしろ悪影響を及ぼす可能性があると結論づけています。
編集部 わかっていましたが、研究結果で示されているんですね。
中澤教授 こうした科学的根拠が示されている中でもなお、「暴力に効果がある」と思い込んでしまっている状況にあり、なかなか根絶されない問題として残っています。
では、「なぜ、暴力に効果があると思い込んでしまうのか?」を考えてみましょう。
行動経済学の中で「平均への回帰」という説明図式があります。上下に極端な値を示した後は平均値に戻るという統計的な現象をいいます。これを部活動に当てはめてみます。
指導者による暴力は基本的にミスした直後に起こります。ミスが起きた時は、それよりも良くなる確率が高い状態。暴力があろうがなかろうが、ミスをした次の行動では普通に戻る、つまりもっとうまくできる確率が高い。
失敗と成功がランダムの確率で起きているだけなのに、失敗をして暴力を受けた子どもが直後のプレーで成功すれば、「やればできるじゃないか!」と、暴力にはさも効果があると錯覚するわけです。

編集部 とても面白い視点です。身に覚えがあり過ぎますが、正直、ミスした時の暴力に何の意味があるのかが全く理解できませんでした。
それでは、反対に「暴力に効果があるかもしれない」ケースを考えてみたいと思いますが。
中澤教授 例えば、注意が散漫な子どもに刺激を与えることで、シャキッとしたり、グッと頑張ったりすることは、動物的なものとしてあり得ますよね。
部活動に当てはめれば、集中していなかったり、プレッシャーがかかっていたりする時などに、指導者がバチンと気合を入れて、「ポジティブな結果」が生まれることも否定できません。
行動分析学的には、暴力は中長期的には効果がないとされています。一方で、こうした瞬間的な効果は意味を持ってしまうかもしれないのです。恐ろしい話ですが。
限定的とはいえ、効果がある可能性が残っている以上、「暴力は効果がないからダメ」と言い切るのは不十分です。
「強くなる、勝つために暴力が必要である」とするならば、「勝たなくていい」「そこまでしなくてもいい」といった議論もしておかないといけません。そこまで考えて、初めて明確に「体罰はノー」と言えるわけです。
今では、子どもたちのパフォーマンスを上げる手段はいくらでもあるので、わざわざ暴力を使う必要性があるのかという疑問も残りますからね。
なぜ日本では「味方」に暴力が向けられるのか? アメリカとの決定的な違い

編集部 スポーツ先進国・アメリカに視点を移します。指導者による暴力はどのように捉えられているのでしょうか?
中澤教授 指導者が子どもたちや選手に対して暴力をふるうことは皆無です。
約10年前、アメリカのスポーツ専門チャンネル「ESPN」が名門大学バスケットボールチームで起きた指導者による〝暴力〟を報じ、大炎上したことがありました。
動画の中身を見ると、その〝暴力〟とは選手に対してボールをぶつけたことでした。その程度といっては語弊がありますが、それがアメリカの認識で、殴る・蹴るなんてもってのほかなんです。
他にも問題行動はあったようで、結局、その指導者はクビになりました。
編集部 だいぶ認識に差がありますね。アメリカでは、審判への暴力が多いという奇妙な現象があると聞きます。
中澤教授 いや、奇妙ではないんですよ。考えてみてください。スポーツは勝敗をめぐって相手と争うものですよね。味方にとって不利な判定をする審判は敵になります。ヒートアップして、味方を有利にさせるために敵である審判を倒すという側面から見ると、「まぁ、そうだよな」ってなりませんか。
また、ヨーロッパサッカーでファン同士が殴り合うシーンを見たことがあるでしょう。
これも自分たちの応援しているチームの方が強いんだと誇示するためで、バカバカしくて、やってはいけないことだけど、心情は理解できます。
編集部 確かにそうかもしれません。
中澤教授 でも、日本の場合、味方である子どもたちに暴力が向けられるんですよ。強くありたい味方同士で殴り合っている。何かおかしいですよね。
これにはもちろん、再三話している通り、「殴ったら強くなる」といった錯覚が入っている。
アメリカではむしろ、汚くて強い言葉、つまり暴言が問題になっています。
ただ、日本のように「死ね」とか「腐っているから、ミスするんだ」のような人間性を否定する言葉はないですね。
暴力指導者の〝表の顔〟に騙されないで
編集部 子どもたちや保護者の視点に立って考えてみましょう。チームや学校選びの際のアドバイスをいただけますか?
中澤教授 変な部活に入ってしまうと子どもたちがかわいそうですし、保護者の方々も心配になると思います。ですから、「お試しで仮入部をする」、「情報を収集する」ことが大事ですね。
割とあるあるなんですが、授業の時はすごく優しく丁寧なのに、部活動の時間になると、ガラッと人格が変わる先生がいます。
だから、授業中に優しくても安心できないので、部活動でどのような指導をしているのかをしっかり観察しましょう。
また、自分以外の生徒や選手に指導者がどのように接しているかを観察してみてください。
指導者がいない時に、先輩に「ぶっちゃけ、どうなんですか?」って聞いてみるのもいいですね。
トータルでいえば、学校の課外活動でやっているわけなので、自分のやりたいことを許される範囲で追求してほしいと思っています。
決して強くはないけれど、暴力がなく楽しく過ごせる部活動のあり方も、当然認められるべきだと思います。
編集部 「安全・安心の部活動」を超えて、中には「暴力があっても強ければいい」「自分は(暴力を含めた)厳しい所に身を置いて成長したい」と思うケースがあり得ます。
中澤教授 これは議論が難しいところですが、「愚行権」を例に挙げてみましょう。
人間は正しいことをするだけでなく、変なことをしたり、愚かなことをしたりすることも許されるべきといった考えです。
例えば、雨の日に外で練習すれば風邪をひくかもしれない。
何となく強くなれる気がして強行したけど、結局風邪をひいてしまった。これは許容できるカワイイ愚行権ですね。
では、許されない愚行権とは何か。究極は死に至らしめることにありますが、自分や他人を傷つけてまで行うのは行き過ぎだと思います。
部活動のシーンに当てはめれば、「先生、俺を強くするために殴ってくれよ」「監督に殴られても、成長するなら我慢だ」という考えはダメだと思いますし、否定したいですね。
編集部 見方を変えれば、甘えているのではないかということでしょうか?
中澤教授 言葉を選ばずにいえば、自分が弱いから成長するための刺激を他者に委ねていることになります。
自分で自身を追い込むことは成長するためには大事なことです。でも、他者を巻き込んでまで求めてはいけないと思うんです。これは、愚行権の範疇を超えています。
すべてとはいいませんが、多くの部活動現場では指導者に怒鳴られたり、手を上げられたりして、子どもたちがそれにリアクションする。残念ながらそういった文化が残ってしまっています。
そうではなく、子どもたち自身がアクションを起こした上で、その結果を受け止める。望んだ結果が出なかったら、違う方策を考えて次に進む。
このように、子どもたちが自ら動いて、自分自身が原因となって、部活動をつくり変えていくのが理想ですね。
部活動の主役は子どもたち。成長する機会を自分で作り出すことが非常に大事だし、長年の慣習で根づいてしまった歪な上下関係を解消・根絶した方がいいと考えます。
部活動指導者の資格・地域移行が招く混乱と課題

編集部 指導者資格、暴力問題後の対応など、制度の点から見ていきたいと思います。スポーツ指導者の資格制度について解説をお願いします。
中澤教授 学校教育法の中で「教諭は児童・生徒の教育をつかさどる」と定められています。部活動は教育の一環なので、当然「顧問は教諭」で、非常勤や外部指導員が部活動の責任を持つ立場にはなれませんでした。
しかし、昨今の人手不足の問題から校長や養護教員などにも権限を広げるなど、議論が拡大解釈されるようになって、2017年に教諭でなくても顧問になれる「部活動指導員」ができました。
部活動指導員は研修を受けて、資格要件を満たした場合、承認されます。
編集部 教諭と部活動指導員で、責任ある立場(顧問)に求められるハードルが違い過ぎませんか?
中澤教授 おっしゃる通りで、教諭は教員試験の段階で資質や素行など厳格に審査されて免許を与えられます。一方、部活動指導員はそこまで厳格ではないのが現状です。
さらに、部活動指導員ですらない無資格のボランティアや地域の指導者なども、たくさん部活動にかかわっている実態があります。
これまで指導者による暴力問題の多くは、顧問である教諭が起こしているように見られてきました。しかしそれは、そもそも部活動の指導者は顧問を務める教諭が大部分だったからで、教諭が暴力を起こしやすいと見るのは、いわば疑似相関です。
だから、それをもって「指導は教諭に任せられない」というのは言い過ぎです。教諭ではなく、「地域の指導者に任せれば大丈夫」というのも言い過ぎです。
こうした「言い過ぎ」が重なって、部活動の地域移行という言葉が一人歩きしていきました。
地域移行したとして、「誰に任すのか?」といった問題が残り、厳格な調査を経ていない、スポーツの知識がある人材に指導を任せたところ、暴力問題が発生してしまっているというのが今の状況です。
編集部 一時期、地域移行と盛んに叫ばれていたのに、最近聞かなくなりました。どうなったのでしょうか? いずれにしろ、「誰でも指導者になれる」状況を危惧しています。
中澤教授 今は、競技団体と連携して地域の指導者を増やしていく流れになっていますが、いろいろと心配なことがありますね。
繰り返しますが、教諭は厳正なチェックを受けた上でなれるもので、部活動指導員も地域の指導者も同程度のプロセスを踏むべきです。
編集部 指導者資格に関して、アメリカではどうなっているのでしょうか?
中澤教授 アメリカの各州の事例を研究していますが、日本とはだいぶ違いますね。
子どもの指導に携わることは非常に大きな責任を伴います。どうやったらうまくなるのかといった専門的な指導は求められるんですが、前提として人として大丈夫なのかという点が問われます。
犯罪歴がないかとか、身元調査を受けるとか、教育的な配慮ができるのかなど、無報酬のボランティア指導者でも厳しくチェックされることが当たり前になっています。
編集部 日本では指導資格に関して整理されていないのがよくわかりました。次に、問題を起こした指導者への対応について、どのように考えていますか?
中澤教授 時代のトレンドとして「暴力はダメ」と思っている人が増えているので、この傾向が続いてほしいですね。とはいえ、暴力問題はなくなっていません。
子どもの安全を守ることを第一に、暴力行為をしている指導者がいたら速やかに通報して「もう来ないでください」とはっきり言うこと。
そして、学校教育、競技団体、社会として暴力指導者の即時追放を徹底していく。これが大事だと思っています。
これまで、子どもの暴力被害に対して、スポーツ界は悪い意味で寛容でした。日本は対応が遅れていますし、海外では暴力指導者に対して、大きなペナルティを課すことで一貫しています。
編集部 暴力後の対応が違うのも気になります。例えば、公立校の教諭であれば、教育委員会から目に見える形で処分されます。一方、私立校はその限りではなく、どのように対応したのかが不明瞭で、シレッと早期に復帰することも実際に起きています。
中澤教授 暴力問題で追放された人をどのように復帰させるか。議論はずっと続いていますが、ケースバイケースで判断すべき事案もあり、統一的なルールは整理されていないのが現状です。加害者側の社会復帰の権利と子どもを被害から守る責任のバランスの問題になるでしょう。
編集部 入口(資格)も出口(処分)も統一的なルールがないのであれば、地域移行なんてできませんし、むしろ問題を増やすだけだと思いますが。
中澤教授 システムや制度をまるっきり変えて、学校の部活動をやめて地域へ移譲するのは強引過ぎると思っています。
国は「地域展開」と表現を変えてトーンを弱めていますが、地方ではいまだ「地域移行」のつもりで進んでいるなど、対応がチグハグしています。
私は、部活動のいい所は残しつつ、財政的な支援を含めて、先生が大変だったら数を増やす、部活指導員の数を増やすなど、あくまで学校教育制度に則ってスポーツをする機会をなくすべきではないと考えています。
その中で、部活動での暴力や子どもの事故やケガの問題、先生の働き方改革など、肥大化して過剰になった部活動を改善しなければいけない。
部活動が過剰になっているんだから、活動量を減らす、楽しむ部活動も認める、暴力をふるった指導者を即刻排除するなど、学校教育の中で細かな丁寧なケアをきちんとしていくことを進めていくべきです。
ですから、長年の慣習を払しょくするべく、部活動のあり方そのものを見直す時期にきていると考えていますし、実際現場も少しずつ変わってきているのです。

- 顧問による暴力が発覚し、部員が自死。顧問は部員に対して、繰り返し暴行を加えたとして傷害罪に問われ、懲役1年・執行猶予3年の有罪判決が下った。なお、自死に対する刑事責任までは問われなかった。 ↩︎




















