「スポーツデンタル」の概念とは?

近年、歯や噛み合わせがスポーツにもよい効果を発揮するという研究報告が相次いでおり、「スポーツ歯学(=デンタル)」という新しい分野もできてきました。

これは、1990年に国際歯科連盟(FDI)により、スポーツに関する新しい歯科医学分野として提唱され、運動能力の維持・向上やスポーツによる外傷予防などの普及・啓蒙などを担っています。また、2000年には日本スポーツ歯科医学会が発足し、最新の研究成果や情報を発信しています。

2011年に施行された「スポーツ基本法」の「スポーツに関する科学的研究の推進等」という項目では、『国は、医学、歯学、生理学、心理学、力学等のスポーツに関する諸科学を総合して実際的及び基礎的な研究を推進し、これらの研究の成果を活用してスポーツに関する施策の効果的な推進を図るものとする』と明記され、スポーツの科学的な研究領域として歯学も挙げられています。

このようにスポーツにとって歯科は不可欠な医学分野の一つであり、密接な関係性は世界的にも認められています。

スポーツデンタルの普及の現状

パリオリンピックの開催が近づいていますが、近年のオリンピックでは、スポーツドクターと同様にスポーツデンティスト(歯科医)が常駐しており、その他の各種競技会でも国際大会を中心に歯科スタッフの配置が普及し、歯科の重要性の認識が広がっています。

2021年に開催された東京オリンピックでは、空手、水球、レスリング、ハンドボールなど12競技に約60人の歯科医が配置され、競技現場での外傷の応急処置などを対応しました。

現在、日本のオリンピック代表選手に対するメディカルチェックは、内科・整形外科・歯科の3科が義務づけられています。

歯科検診が始まったのは、1988年のソウルオリンピックからであり、検診の結果により必要な処置・治療が指示されます。

スポーツデンティストは選手に対し、虫歯や歯周病による腫れ・痛みなどで競技やトレーニングに意識が集中できないことを防いだり、スポーツ外傷防止のためにマウスガードを作製したりする役割を担いますが、歯並びや噛み合わせのチェックや改善・治療をすることも重要な任務です。

競技スポーツは、学校の運動部で行うクラブ活動からサッカー・野球などのプロの選手が行うものなど幅広いですが、スポーツデンタルの普及を示す一つの例として、プロを目指すアスリートと歯科矯正に関する調査報告をみていきましょう。

2022年に株式会社DRIPSは、現役でプロを目指す全国の10歳代、20歳代のアスリート143人を対象に、歯並びや噛み合わせを改善する歯科矯正に関するアンケートを行いました。

その結果、現役アスリートの73.1%が歯科矯正を経験し、その多くが競技能力向上のために行っていました。さらに、歯科矯正を行った結果として、競技へのポジティブな効果を実感する割合が90.8%にも及びました。

また、「矯正を行った理由は?」という質問を行ったところ、見た目を改善するためと答えた人が4.9%にとどまったのに対し、35%が「パフォーマンス向上のため」、23%が「監督やチームメイトから勧められたため」と回答し、競技に関わる理由が半数以上の割合を占める結果となりました(図1)

つまり、スポーツの能力向上のために歯並びや噛み合わせを整えるというのは、コンマ1秒のタイムを競うような専門的なスポーツ界では、もはや常識なのです。

図1 アスリートが歯科矯正を始めた理由

健康的な歯や噛み合わせがスポーツにどのように貢献するか?

健康的な歯でしっかり噛み締めることが、スポーツ面でどのようにプラスに働くのか。いくつか挙げてみましょう。

食事の効率が上がり、栄養バランスが良くなる

適切なオーラルケア(歯磨きなどで口の中の健康を維持・管理すること)により歯や歯ぐきを健全に保つと、しっかり咀嚼した食事ができます。

栄養バランスの良い食事が健康やスポーツのパフォーマンスに好影響を与えるのは言うまでもありません。

虫歯や歯周病など口の中にストレスがないと、精神的に安定する

虫歯の痛みや歯周病による歯のぐらつきなど、口の中に悩みがあると競技に集中できず、力も発揮できません。スポーツをする前には必ず治しておきましょう。

また、外傷を防ぐマウスガードの装着で怪我に対する不安感から解放されると、パフォーマンスが向上することも認められています。

日頃のトレーニングの成果を存分に発揮するためにも、ストレスのない健康的な口の中を保つことが大切です。

奥歯でしっかり噛み締めると力を発揮でき、体幹のバランスが安定する

2016年に東京医科歯科大学大学院のスポーツ医歯学分野・准教授の上野俊明氏らが公表した研究では、スポーツクレンチング(スポーツ時の噛み締め)が静止状態における握力などの筋力アップ(図2)や比較的ゆっくりした動きの中で発揮される筋力のアップに効果があることを認めました。

図2 スポーツクレンチングによる筋力向上
文献2より一部改変

重量挙げや野球のフルスイングのように、瞬時に強い力を発揮する時は奥歯でグッと噛み締めますが、噛み合わせと体のバランスについて、歯が多くあるスポーツ世代にはあまり実感がないかもしれません。しかし、高齢になり歯を失うと、その違いが顕著に出ますので、高齢者の噛み合わせと体のバランスに関する研究報告を2つ紹介しましょう。

2005年、広島市総合リハビリテーションセンターの吉田光由氏らが報告した研究では、自力歩行できる認知症高齢者146人を対象に、「①奥歯がほとんど噛めない」「②義歯を使って奥歯で噛める」「③奥歯が十分残っている」の3グループに分け、転倒を起こす頻度を調べました。

その結果、奥歯が残るグループほど転倒頻度は減り、義歯でも奥歯で噛めれば転倒頻度は減ることが明らかになりました(図3)

つまり、義歯であれ自分の歯であれ、奥歯でグッとしっかり噛むことによって姿勢を安定させると踏ん張りが効くようになり、転倒防止につながったと推測されるのです。

図3 認知症高齢者の噛み合わせと転倒頻度

一方、2009年に明海大学歯学部の宮澤慶氏が報告した研究内容によると、埼玉県に在住する局部床義歯装着者87名(平均年齢66.0歳)にに対して、噛み合わせと身体の動揺(重心の偏りや体の揺らぎの大きさ)との関連性について調査しました。

その結果、奥歯で噛み合わせがある場合には身体が動揺する距離は短くなり、逆に前歯だけで噛むような噛み合わせでは動揺が大きくなる傾向を示しました。

さらに、噛み合わせの力が強い人ほど、また噛み合う接触面積が広い人ほど、身体の動揺が小さくなる傾向となりました(図4)

図4 上下の歯の接触面積と重心動揺の関係

以上のように、身体のバランスを保って最高のパフォーマンスで力が発揮できるように、健康な歯を保つことは大切です。毎日の歯磨きに励むとともに、定期的な歯科検診で虫歯や歯並び・噛み合わせなどのチェックを受けるようにしましょう。(島谷浩幸)

【参考文献・資料】
1) 株式会社DRIPS:現役アスリートの歯科矯正事情調査, 2020年10月1日~3日(インターネット調査)
2) 日本歯科医学会:アスリートの最大能力発揮支援に歯科界が動く!, 日歯医学会誌, 35, 7-32 (2016)
3) Yoshida M, Morikawa H, Kanehisa Y, et al: Functional dental occlusion may prevent falls in elderly individuals with dementia., J Am Griatr Soc, 53, 1631 (2005)
4) 宮澤慶ほか : 局部床義歯装着者の咬合状態と身体動揺の関連について, スポーツ歯誌, 13, 16-22 (2009)

島谷浩幸(歯科医師・歯学博士/野菜ソムリエ)

1972年兵庫県生まれ。堺平成病院(大阪府)で診療する傍ら、執筆等で歯と健康の関わりについて分かりやすく解説する。
大阪歯科大学在籍時には弓道部レギュラーとして、第28回全日本歯科学生総合体育大会(オールデンタル)の総合優勝(団体)に貢献するなど、弓道初段の腕前を持つ。

【TV出演】『所さんの目がテン!』(日本テレビ)、『すこナビ』(朝日放送)等
【著書】『歯磨き健康法』(アスキー・メディアワークス)、『頼れる歯医者さんの長生き歯磨き』(わかさ出版)等
【好きな言葉】晴耕雨読
【趣味】自然と触れ合うこと、小説執筆
【ブログ】blog.goo.ne.jp/shimatanishixx
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