東京五輪開催まで100日を切った。多くの困難に見舞われながら急ピッチで準備が進み、五輪の象徴である聖火は各県を巡っている。ここまでくると、「中止」「延期」の可能性は限りなく低いとみていいのかもしれない。五輪は予定通り開催されるようだ。
五輪ムードが徐々に“高まりつつある”中で先日、一部メディアが「東京五輪出場選手への優先的な新型コロナウイルスワクチン接種を検討」といった内容を報じた。関係者らは世論の反応を鑑みて報道を真っ向から否定した。一方で、感染拡大・予防のために五輪代表選手への優先接種を促す国もあることから、完全に消えた話とはいいづらい。
ワクチン接種に関しては、多少の問題点があるものの、現状の閉そく感を吹き飛ばす大きな武器になる。日本国内での接種率はさておき、ワクチンの存在が五輪開催へとまい進する要因になっていることはいうまでもない。
五輪に出場する選手、それに準ずるレベルの選手は競技力の公平性を保つため、ドーピングコントロール下での競技が義務づけられている。当然、選手たちは、自分が使用するワクチンを含めた医薬品などの安全性を把握しておかなければならない。現在、世の中の最大の関心事であるといっていい「ワクチン接種」。そもそもスポーツ選手の健康上、使用しても問題ないのか。ドーピング検査には引っかからない物なのか。
この疑問に答えてくれるのがスポーツと薬のスペシャリスト「スポーツファーマシスト」。薬剤師の国家資格を有し、スポーツ選手が医薬品、サプリメントを安全に使用できるようアドバイス・注意喚起してくれる頼もしい存在だ。栄養摂取とともに、これから知っておかなければならない分野である。
今回は、合同会社イルホープ1)・小野創平氏、スポーツ現場で活動する薬剤師・砂本沙織2)氏のスポーツファーマシスト2人に、スポーツをする上でのワクチンを含めた医薬品との向き合い方について見解をうかがった。
1) サプリメント商品、サプリメント商品に使用される原料にドーピング禁止物質が含まれていないかを専門的に検査・分析する。ドーピングについて勉強したい方、詳しく知りたい方はこちら(合同会社イルホープ公式ブログ)に役立つ情報が公開されています。
2) 医薬品に関する使用、ドーピングに関する質問がある方は、こちらからご連絡ください。
スポーツ選手のワクチン接種に問題はないのか
まず確認したいのは、「スポーツ選手がインフルエンザなどの一般的なワクチンを接種しても問題ないのか」という点だ。砂本氏はこのように答える。
「スポーツ選手がワクチン接種をすることで気にする点として、①ドーピング規則違反になるのか、②競技パフォーマンスに影響するか。この2点だと思います。
①の答えは『理論的にはほぼないと判断できる』です。新型コロナウイルスを含む一般的なワクチンは、世界ドーピング防止機構(WADA)が定めた『禁止物質』『禁止方法』のどちらにも当てはまりませんし、WADAがリリースしたQ&A(no.11)でも、『新型コロナウイルスに対するワクチンは禁止物質・方法を含むと考えられておらず、検査結果に影響するものではないでしょう』と記されています。
また、②に関しては、『ワクチン接種後の全身・局所の副反応による運動パフォーマンスの低下は否定できない』です。しかし、だからといって、ワクチンを接種しない方がいいかというとそうではありません。スポーツ選手は接触が多い場合もあり、感染リスクがかなり高いともいえます。感染するリスクとワクチンの副反応のリスクを比べると、接種することが推奨されています。
もし、副反応が出てしまった場合でもほとんど、通常2~3日で軽快するといわれていますので、大事な試合前などのタイミングを避けて接種すると良いと思います」
接種のタイミングを考えれば、ワクチンは予防策としても有効で、スポーツ選手への影響は限定的といえる。砂本氏によれば、インフルエンザの場合、ワクチン接種による免疫持続期間は5カ月とされており、その間の感染リスクやかかった場合の重症化のリスクは低下する。ただし、インフルエンザに絶対患わないわけではないとのこと。この点は、予防接種を受けたのにかかってしまった経験を持つ人もいるので、効き目が100%とは言いきれない部分はある。
新型コロナウイルスワクチン接種によるスポーツ選手への影響は?
次に、新型コロナウイルスワクチンについて考えてみたい。現在、日本国内で接種されているのは、米国・ファイザー社製「コミナティ筋注」。スポーツ選手が接種することで起こりうる影響について、小野氏は「短期、中長期で分けて考えることができる」と話す。
「短期的なものでいえば、コミナティ筋注は約8割の人に注射部位の疼痛、2~3割の人に注射部位付近の筋肉痛がみられるというデータがあります。筋肉注射なので当然ではありますが、注射後数日間は痛みを伴い、プレーに集中できない可能性が考えられます」
ドーピングコントロール下にある選手は一般的なワクチンと同様、競技環境、スケジュールを鑑み、接種のタイミングを考えたい。
「中長期的なものに関しては、データが少ないのであくまで推測としてお答えします。理論上、mRNAワクチンは数日で体内からなくなってしまいますし、遺伝情報を直接書き換え、筋肉の質を変えるなどの影響を及ぼすことはありません。また、国内で広く使用されてきた一部のワクチンのように、感染時と同様の症状が出ることも考えられません」
最も早くコミナティ筋注を接種する可能性があるスポーツ選手は、優先接種の検討が噂されている東京五輪代表らになるが、五輪以降は多くの競技者も対象になってくる。改めてワクチンの安全性について聞いた。
「コミナティ筋注とドーピングをひもづける場合、①成分的な問題、②物理的な問題が浮上します。①については、ドーピング禁止リスト(禁止表国際基準)に掲載される成分はなく、どのセクションの類似物質にも該当しません。②は『用途』『注射の量』などの観点からドーピング行為にあたりませんし、mRNAは遺伝情報を書き換えるわけではないので、接種が禁止行為とはみなされません」(小野氏)
「医薬品はサプリメントやプロテインとは異なり、主成分、添加物などの含有成分がすべて表示されています。ですから、そうではないサプリのように、アンチ・ドーピング認証をする必要がありません。使用している医薬品の含有成分と、禁止リストを照らし合わせて、規則違反となっている成分が入っていなければ、理論上、安全に使用することができます。WADAは新型コロナウイルスワクチンの接種を推奨していますので、現時点ではスポーツ選手によるワクチン接種は問題ないといえるでしょう」(砂本氏)
WADAは日々、スポーツ選手の健康を守るため、ワクチン接種に関する医学的な情報収集に努めている。現状ではワクチン接種を推奨しているものの、万が一ネガティブな情報が出てきた場合は、その危険性に関する情報発信を即座に行う姿勢をみせている。
砂本氏は「新型コロナウイルスワクチンについては、今後蓄積されたデータに基づいて、見解が変更される可能性もある」としながら、現時点で罹患や重症化のリスクを下げるメリットを示す十分なデータがあり、スポーツ選手が接種する意味は大きいとしている。
小野氏はコミナティ筋注について、「mRNAという言葉が先走り、精子や卵子に影響を及ぼすと考える方も少なくないでしょう。でも、理論上、遺伝子情報に直接影響を及ぼすわけではないので、これから妊娠・出産を計画されるママ、パパのスポーツ選手にも、現在授乳しているママのスポーツ選手にも安心して使用できると考えます」と、安全性を強調する。
いずれにしろ、スポーツ選手がワクチンを含む医薬品を使用する場合、自己管理が大切になってくる。選手がすべきことは「医師、薬剤師などの専門家に安全性を確認する」、「使用した医薬品の内容の記録を残す」である。実際に、五輪出場レベルの選手は口に入るものを自己管理し、競技力の向上、コンディショニングに努めている。
今回、2人のスポーツファーマシストから見解を示してもらったが、明確で論理的な返答からワクチンに対する不安が少し払しょくされたのではないか。また、今後日本に導入されるであろう、英国・アストラゼネカ社製ワクチン、米国・モデルナ社製ワクチンについてもエビデンスに基づいた安全性の観点から、接種の判断をする必要がある。
現在、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)と日本薬剤師会が共同で認定を行う「スポーツファーマシスト」の有資格者は意外と多い。半面、スポーツ現場で有効に活動できていない現状もある。スポーツ選手の生命にかかわるドーピングに直結する医薬品やサプリメントの専門知識を持っているにもかかわらず、である。
最近ではスポーツチームに専門家を派遣して、選手の安全性について指導・サポートする動きも出てきた。日本国内では欧米と比べて周回遅れではあるものの、ようやくサプリメントのアンチ・ドーピングに関するインフラが整いつつあり、医薬品についても関心を高めていくべきである。
成熟したスポーツ文化を日本国内で根づかせるために、スポーツ関係者がスポーツファーマシストの持つ責任と知識を理解し、現場で活躍させる機会を増やしていくことが大切だ。そして、スポーツファーマシストの役割、能力を実際に示していくことが、活躍の場を増やす近道になってくる。
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ワクチン接種後の副反応対策(2021年6月28日更新)