永続企画「ニュートリションな人々」。第14回の主人公は、スポーツ栄養科学博士で管理栄養士の新生暁子さん。

主婦の身でありながら突如栄養の世界へ飛び込み、自身の行く道を模索した新生さんは、縁があって日本史上最強の女子ランナー・高橋尚子率いる「チームQ」の一員として栄養面を担当することに。厳しい世界で生きるスポーツ選手の姿勢に接し、今につながるすべてを感じ取る。

一方で、「高橋尚子の栄養士」という大きすぎる看板がゆえに、何者にもなれていない自分に不安や葛藤を感じることも多々あったという。

華やかに見えるスポーツの世界で、専門家として生きていくこととは? 自分の存在意義を示す努力を始めることに、年齢や時間は関係ない。新生さんのリアルな境遇から、前進を続けなければならない意味を考えたい。

栄養を全く知らない主婦が勉強を始める

編集部 博士、管理栄養士と専門知識があり、現場での経験も豊富。もともとスポーツニュートリションの世界で活動することを目標にしていたのですか?

新生暁子(以下、新生) 小さいころから体を動かすのが好きで、大学までスポーツをしていました。ただ、大学卒業後は一般企業に就職しましたので、それからはスポーツとは無縁の生活でしたね。

スポーツニュートリションの世界に身を投じることになるとは夢にも思っていませんでした(笑)。

編集部 どこから道が変わってきたのでしょうか?

新生 結婚ですね。夫が“たまたま”アメリカンフットボール選手だったので、食からコンディションを支える必要性に迫られました。

編集部 ご主人がスポーツ選手ということもあって、献身的に支えてこられたんですね。

新生 いいえ、全く(笑)。夫から「高たんぱく、低脂質の食事」とザックリとリクエストされましたが、何を出せばいいかわからない。「豆腐やささみでいいのかな?」って。そんなレベルでした。

そもそも、高たんぱく、低脂質が何でスポーツ選手にいいのかも理解できなかったですからね。夫から「これがいい」といわれた物をただ出すだけ。そこにはスポーツニュートリションもサイエンスもなかったわけで(笑)。

編集部 始めはそんな感じだったんですね。

新生 ちょうどそのころ、人生への焦りみたいなものもあって。31歳で結婚して東京へ出てきたものの、資格もないし、働く機会を得るのもなかなか難しい。このまま、夫と幸せに過ごしていくことはできる。

でも、自分は何者でもないし、時間を無為に過ごしていていいのか。ずっと自問自答していました。これは、今でもずっと続いていることなんですけどね。

編集部 多くの人が思い悩むところではありますよね。

新生 それで、最終的に自分が好きなことをやろうと。もともと食べることや作ることは好きでしたので、もっと料理や食事に関する専門知識を得ようと思いました。

それに、夫に食事のことをリクエストされたけど、何もわからなかったし、その知らないことが悔しかったんです。せめて、自分の家族くらいは栄養で支え、いつまでも健康であってほしい。それで、栄養の道へ進むことを決めました。

編集部 一から勉強を始めようと、大学に入り直したんですね。

新生 そうです。たまたま栄養系の短大に問い合わせると、社会人枠があるということだったので。実は、スポーツに特化した場所を志望していたわけではないんです。あくまで「栄養学」。

恥ずかしい話なんですけど、栄養士と管理栄養士の違いがよくわからなくって(笑)。栄養の勉強をしたかったので、その点はあまり関係なかったし、家族のために役立てるのだから、短大卒で得られる栄養士のままでもいいと思っていました。

編集部 管理栄養士取得のためにさらに前進したんですね。

新生 当時は、私の中で漠然とした優劣みたいなものがあって、働かなければいけない状況を考えると、管理栄養士の方が職域の広さや就職の機会に恵まれていると思い違いをしていました。今となってはほとんど関係なかったかもしれませんね。自分次第ということです。

それで、四大に編入して資格の取得をめざしました。ただ、勉強、実習、国家試験と、もの凄く大変なことの連続でしたね、その2年間は。いつの間にか、資格を取ることがゴールになっていて、かなり精神的にくるものがありました。就職もどうでもいいやって(笑)。

編集部 燃え尽き症候群みたいなものでしょうか?

新生 そうだったと思います。とにかく休みたかった。

編集部 そこからどのように前を向いたんですか?

新生 疲弊していた私を心配して、恩師が「せっかく管理栄養士になるのに、何もしないのはもったいない。どんな場所でもいいから、栄養の現場には居続けた方がいい」とお声がけいただいたんです。

自分でもそういう気持ちは少しあったので、国立栄養研究所(栄研)での仕事を紹介していただいて、1年間働くことになりました。

編集部 栄養学の勉強から研究へ、かなり世界が変わったのではないでしょうか?

新生 研究現場にいたといっても技術補助員だったので、研究者のお手伝いと認識していただければ。でも、「研究」「サイエンス」「エビデンス」という言葉を初めて見聞きして、「へぇ~、こんな世界があるんだ」と新たな気づきになりました。

まぁ、初めての世界に足を踏み入れるわけなので、英語の研究論文を読むのにも時間がかかるし、英訳しても「結論の訳が全く逆だよ(笑)」と指摘されることもありました(笑)。

仕事ぶりは未熟だったかもしれませんが、研究者の方々には良くしていただきましたし、いろいろと勉強になりましたね。この経験がなければ、今につながらなかったのは間違いないです。

女子最強ランナーの栄養士…その名に追いつくために

編集部 栄養、研究とどんどん世界が広がって行きますが、スポーツとの接点ができたのはいつごろだったのでしょうか?

新生 ちょうど栄研に所属していた時ですね。「チームQの一員にならないか」と誘っていただき、高橋選手が引退するまでの1年半、スタッフとして帯同しました。

編集部 いきなりトップ選手の栄養を見ることになったんですね。高橋選手にはどのようなことを施していたのですか?

新生 「栄養士として帯同」って聞こえはいいんですけど、実際は料理を提供するのが主でした。そのころの私は正直いって、スポーツのことも栄養のこともまだまだ理解が追いついておらず、栄研にいたけどサイエンスでも語れない。不足していることだらけだったと思います。

それでも、チームの一員にしてくださって本当にありがたかったし、高橋選手の輝かしいキャリアの最後をともにできて幸せでした。彼女との楽しい、素晴らしい経験は私の宝物になっています。

編集部 トップランナーと接することで、いろいろと学んだことが多かったのではないですか?

新生 「チームQの一員として、何ができたか」と振り返ると、申し訳ないくらい何もなかったなぁと今でも思っています。反対に、彼女からはすべてを教えてもらったといっても過言ではないですね。

彼女とは年齢が近くて接しやすい。とても優しくて天真爛漫。テレビとかで見る彼女そのものですね。でも、競技のことになると一転、自分自身にとても厳しいんです。彼女の姿勢を見るだけでも刺激を受けますし、勉強になるんです。

そして、彼女とコミュニケーションを取ることで、「今まで学んできたことはこういうことなんだな」と、気づくことが数えきれないほどありました。

編集部 まさに「百聞は一見に如かず」ですね。生きた知識をスポーツ選手から吸収するというか。

新生 そうですね。彼女も人間ですので、日ごとに精神状況やコンディションが当然変わってきます。スポーツ選手を一人の人間として見た時に細かい配慮ができるか、寄り添うことができるか。これがスポーツ現場で栄養の専門家に求められることだと感じました。

勉強したり、論文を読んだりすることで、ある程度知識は身についてくると思います。でも、厳しいスポーツの世界で生きる人とどう向き合うかは経験しないとわからない。

私たち専門家は、身を削り、努力を続けるスポーツ選手と同じ土俵に立って仕事をすることになります。知識の提供はもちろんですが、一心同体、伴走するといった意識は常に持っていなければいけません。

この心構えは、彼女と接することで培いましたし、今でも私のベースになっていることです。

何物でもない自分…専門性を高めるためにサイエンスの世界へ

編集部 すべてを教わった高橋選手の引退でチームQは解散、次のステップに進むことになりました。

新生 フリーランスで活動することになりました。いい方を変えると、まぁフリーターですね。結構大変でしたよ。繰り返しますが、彼女に帯同していたといっても何かを成し遂げたという感覚はありませんでした。

それなのに、「高橋尚子を担当した栄養士」という看板だけは大きくなってしまって。自分の力との大きなギャップを感じたことは確かです。

編集部 トップ選手とかかわりがあるということで、周囲から注目されるのは仕方のない部分もありますね。

新生 だから、雑誌やテレビ、ラジオなどの仕事は来るには来るんです。私も生活がありましたから、マラソンの栄養だけでなく、美容、ダイエットと、あらゆる分野で発信していました。

でも、美容もダイエットも自分ではそれほど知識があるわけでもないし、実践しているわけでもない。なのに、生活のためとはいえ、偉そうに講釈する。それでいいのかと。

そんな生活をしていた3年間は、上っ面だけで生きていた気がします。自分が思っていることがいえない、人が幸せになることは提供できていない。お世話になった方や応援してくれている方の思いとは全く別の道を歩んでいる。

40歳手前の時期で、開けても開けても実体のないマトリョーシカのような自分は何者なんだ? 大きな壁にぶち当たりました。

編集部 スペシャリスト(専門性)なのか、ゼネラリスト(多角性)なのか。そういう話にもつながりますね。

新生 栄養を追求するために栄養士・管理栄養士になり、栄研では研究を垣間見て、チームQでスポーツ現場の厳しさと貴重な経験と、それなりにキャリアは積みましたが、どれも中途半端。スポーツの現場はもちろん、特定保健指導など、ある程度の栄養領域を経験しました。

当時は、やりたいことが何なのか。できることは何なのか。それ自体もわからず、固まっていませんでした。もっというと、仕事が欲しかったから、いろいろな分野に手を広げた。それなりに稼げるようにもなっていたので、浮かれていたんだと思います。

その時に、「本当はどんな世界にいきたいのか」「どういう栄養の専門家になりたいのか」と、もう一度思い直すことにしました。

研究の世界を少しだけ垣間見たこともあり、高橋選手をはじめ、多くのスポーツ現場の経験も得たので、スポーツニュートリションでもサイエンスの部分に目を向けることにしたんです。

編集部 それまでいろいろな経験をしたからこそ、進む選択肢があったということだと思います。

新生 結果的にはそうかもしれません。それで、どうせやるならスポーツ医学が進んでいる大学に行って勉強し、自分のベースになるような、芯になるような物を築こう。そう思い、順天堂大学大学院で5年間、仕事をしながら研究現場での経験を積みました。

編集部 最終的に選んだ研究の道はいかがですか?

新生 地獄の5年間(笑)。何かを専門的に研究したというわけではなかったんですが、これも大変でしたね。ただ、研究領域の魅力というか、面白みは同時に感じましたね。

編集部 勉強をし続けた結果、博士号までたどり着きました。

新生 管理栄養士を取得した時は、資格を取ることがゴールになっていました。でも、大学院では、研究をすること、論文を読むこと、多方面からの物の見方、エビデンスレベルの話とか、スポーツ分野では必要だと思ったから、博士課程まで頑張ったんです。

研究者になろうと思ったわけではなく、スポーツニュートリション、サイエンスを追及した結果、博士号がついてきたといった程度の話です。と、クールにいいますけど、内心はメチャクチャうれしかったですよ(笑)。

編集部 研究でいえば、エビデンス(根拠)が求められますが、この点、スポーツ現場でどのように生かされていますか?

新生 スポーツ現場で活動する栄養の専門家は「緩衝材」だと考えています。

感覚や知識だけで物事を伝えるには限界があります。大学院ではスポーツ関連の研究・論文にかかわる機会が多かったのですが、「なぜそうなるのか」という答えの多くは研究によって明らかになっていますし、それは説得材料にもつながってきます。

ただ、選手にアドバイスをする時に、知り得た情報をそのまま伝達しても理解してもらえないので、できるだけかみ砕き、選手がパフォーマンスアップやコンディショニングに生かせるようにわかりやすく説明する必要があります。

そのためには、自分が深く理解しなければいけないことはたくさんあるので、継続的なインプット、簡潔なアウトプット。これが大事です。

根拠のあるきちんとした情報や知識をしっかり伝え、私がかかわっている人たちのキャリアや生活を豊かにできるように日々活動を続けています。

編集部 新生さんが考え続けて前進してきた歩みは、スポーツニュートリションの世界で活躍することをめざす人たちにも参考になると思います。最後にメッセージをいただけますか?

新生 夢を持つことは素敵なことだし、そこに向けて邁進するのは素晴らしいことです。でも、努力は続けていかなければいけない。それは、選手などかかわった人たちに対して誠実であることにもなります。

いきなりトップレベルの選手とかかわりを持つような、降って沸いてくる話はあるかもしれません。でも、それを待っていてはいけないし、期待をしてもいけない。勉強を続けること。そして、自分のやりたいことを見定めて、しっかり歩むことが大事だと思います。

何者でもない、遅咲きの私でもやれたんですから、みなさんも信じて前進していけば、きっと目標を達成できます。芯をしっかり持って頑張ってほしいです。

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