現地時間2月12日、プロアメリカンフットボール「NFL」の王者決定戦・スーパーボウル(SB)がおこなわれる。今季は、カンザスシティ・チーフスとフィラデルフィア・イーグルスが王座をめぐって激突する。
米国最大のスポーツイベントは注目度が非常に高く、勝利を収めたチームはSBリングを製作し、偉業を後世に残す。長く厳しいシーズンを勝ち進んだ者のみ手にできるSBリングはNFL最高の栄誉の証だが、これを7個も所持している選手がいる。
先日引退を表明した45歳のクォーターバック(QB)トム・ブレイディ(タンパベイ・バッカニアーズ)だ。
アメフトは、防具で身を固める競技がゆえに全力でプレーできるため、脳震とうや重度のケガを負うリスクが非常に高い。選手寿命は長くても3~5年(27歳前後)といわれ、30歳以上でプレーを続けるのはかなり厳しい。
特に、相手からの物理的な強いプレッシャーを受けながら、戦術を組み立て、チームをリードするQBは、心身とも負担が非常に大きい。
過酷なポジションでブレイディのように20年以上先発出場を果たし、かつ結果を残し続ける選手は歴史的にみても見当たらない。
ブレイディが長い期間活躍した裏には、自身の確固たる意志と健康を保つためのたゆまぬ体への自己投資がある。特に、食事に関しては厳格といえるほどの節制をおこなっている。
超低評価でのプロ入り、千載一遇のチャンスをモノに
ブレイディは、ミシガン大学でオレンジボウル(カレッジフットボールの最高峰の一つ)に勝利するなど活躍を見せたが、それほど目立つ存在ではなかった。
2000年ドラフトでニューイングランド・ペイトリオッツに指名された順位は全体199位(6巡目。1チーム7巡目まで指名)。入団しても控えQB、もしくはシーズン前のキャンプ中に解雇もあり得る低い評価を受けてプロ入りした。
ペイトリオッツは前年までプレイオフ進出を逃す苦しいシーズンが続いており、ブレイディの入団と時を同じくしてチーム再建を託されたのがビル・ベリチックヘッドコーチ(HC)だった。ブレイディとともにSBを6度制し、ペイトリオッツ王朝を築いた指揮官である。
チーム強化のために、ベリチックHCは0からチームを作り直さなければならず、すでにチームを掌握していた高額契約・ベテランのエースQBよりも、自身の意に沿う若いリーダーの必要性を感じていた。
プロ入り当時のブレイディは「足が遅い」「強肩ではない」とみなされていたが、「毎日練習後に選手を集めて、その日の練習メニューを反復していた」「キャンプ初日からベテランのように指示を出していた」「誰よりも早くから練習し、誰よりも遅くまで練習していた」「いつでも試合のための準備を怠らなかった」と、当時からチーム関係者にはキャプテンシーと向上心を認められていた。
加えて、厳しい練習を課し、激しい叱咤を浴びせるベリチックHCの指導を素直に受け入れる精神面の強さも持ち合わせていた。
ペイトリオッツがブレイディを低評価(契約金・年俸が安価で済む)でも指名した真意は、身体能力やプレーぶりではなく内面にあったのだ。
1年目の2000年シーズン、4番手QBとして53人の選手枠に残ったブレイディは、大勢の決まった試合で3回ボールを投げる機会を得たのみ。しかし、転機は2年目に突然訪れる。エースQBのケガにより突如出番が与えられたのだった。
この年は2、3番手QBもチームから離脱しており、ブレイディしか控えていなかった特殊な事情があったものの、ベリチックHCが考えていたエースQBの交代は想定よりも早く訪れた。
先発昇格後の数試合はインパクトを残せなかったブレイディだが、自らのタッチダウン(TD)パスで接戦を制した試合を境にチームは急上昇。持ち前のリーダーシップ、勝負強さを発揮してプロボウル(オールスター)にも選出されるほどの活躍を見せ、ついにはSBまで制覇してしまった。
ブレイディは、エースQBの欠場により得た千載一遇のチャンスをモノにしたのである。
翌シーズンは2年目のジンクスか、プレイオフ出場は逃したが、先発の座を不動のものとし、ベリチックHCがもくろんでいたチームの若返り、ブレイディを中心にタフでスマートな選手がそろった、規律の取れた常勝チームへの礎は築かれた。
ブレイディは23年間の現役生活で、1年目と最後のシーズンを除き、すべてチームを勝ち越しに導いている(1シーズン16試合、2021年からは17試合)。プレイオフを含む試合出場数は383で、重ねた勝利は286(勝率.749)に上る。もちろん、出場・勝利数ともに歴代1位。
また、個人成績ではキャリア通算のパス成功数、パス獲得ヤード、TD数などQBの主要な項目でブレイディは多くの記録を持っている。
特筆すべきは、引退間際の44歳で自己最高、歴代3位の1シーズンのパス獲得ヤード5316をたたき出し、20、30歳代よりも40歳代でもなお優れた成績を残した。
最も多くの時間を共有したベリチックHCは、ブレイディの引退表明に際して、「彼は常に最高レベルでのプレーを追求し、毎日のように自身を奮い立たせていた。仕事への取り組み方と勝利への欲求はチームメイトやコーチのモチベーションを高め、キャリアを通じて気品と誠実さをもって自分を貫いてきた。究極の勝者である」と評している。
ブレイディは、2001年シーズン(1試合だけ先発を外れ、途中出場)、ケガでほぼ全休の2008年シーズン、4試合欠場した2016年シーズンを除き、全試合先発出場を果たしている。
試合に出られなければ、最高レベルのプレーは追求できないため、常に準備を怠らなかった。それは、トレーニングであり、コンディションを維持するための食事でもある。
ケガのリスクを意識したブレイディ独自の食ルール
余談だが、筆者がNFLの仕事をしていた時期は、ブレイディの全盛期とちょうど重なる。少なくとも、ブレイディが食事について言及した記憶はない。
にわかにブレイディの食事法にスポットが当たったのは2017年に自著「The TB12 Method(TB=Tom Brady、12=背番号)」を発刊してからだ。
本を発刊するにしても、実践していなければノウハウは蓄積できないので、表には出していないが長年温めていたのだろう。さらにいえば、ファッションモデルのジゼル・ブンチェンの存在が大きく影響しているとみる。
ブンチェンは整った体形や内面からの美を追求する表現者であり、高い意識で食事と向き合うことで美を維持し、世間の共感を得てきた。
2009年に両者は結婚(2022年に離婚)するのだが、ブンチェンの健康的な食事から着想を得て、ピークアウトを迎える時期に実践し始め、キャリアに役立ててきたことは時系列から想像できる。
パートナーによる食事管理、アドバイスが選手寿命を大幅に延長するためのカギになったのは間違いない。
ブレイディの食事は、ケガのリスクを意識した抗炎症、アルカリ食をコンセプトに構成されている。
その上で、食事の約80%を植物性食品とし、無農薬・有機野菜、全粒穀物、豆類、特定の果物、ナッツ類などを摂取する。残りの約20%を動物性食品で補い、赤身の肉や魚といった低脂肪のたんぱく源、プロテインパウダー(自身で開発した物)などを摂取、動・植比率80:20を重視している。ちなみに、この比率に科学的根拠があるかは見出せなかった。
摂取を制限する物として、有色野菜、グルテン、乳製品、トウモロコシ、大豆、グルタミン酸ナトリウム(添加物)を含む食品、コーヒーやアルコール、遺伝子組み換え作物、砂糖、トランス脂肪酸を含む食品など多くが挙げられている。
野菜でも特に、ナイトシェード(ナス科の総称)であるトマト、ピーマン、ナス、ジャガイモ、(野菜以外ではトウガラシ、タバコなど)と、キノコなどの菌類は、炎症を誘発する物として完全に排除している。
実際にはこれらの中でも抗炎症作用が認められている食品もあり、独自の見解に基づいた方法論として解釈した方が良い。
抗炎症に対するブレイディのこだわりは他にもある。試合前日のデザートにはカカオ100%のチョコレートを摂取する。チョコレートの原料となるカカオには抗炎症作用や血流改善が認められるフラボノイドが含まれており、ケガのリスクが高いアメフト選手としての細かい気配りが垣間見える。
食以外でも、ブレイディは睡眠を重視しており、毎晩20時30分にはベッドに入り、9時間確保するようにしている。ブレイディの1日は早朝から始まり、フォーメーションや戦術が記された数百ページにも及ぶプレイブックに目を通し、ビデオスタディでプレーを分析し、自身を鍛えるトレーニングのために大半の時間を当てている。頭と体の疲労を回復するには、質の良い睡眠が必要としている。
チームの司令塔であるQBには、パスターゲットを素早く見つけるための情報処理能力や相手からのプレッシャーを回避するための状況判断能力も求められる。
ブレイディは、認知症や記憶喪失など脳に症状がある人が利用するブレインアプリで、試合中の反応速度を高めるために毎日数十種類のゲームをこなし、脳を鍛えている。
ブレイディは現在、自身で運営する「THE METHOD INSPIRED BY TOM BRADY」で、ブレイディ流のニュートリション、メンタル、トレーニング方法、その他関連商品など、スポーツ選手に対して情報を提供している。
ブレイディのメソッドはプロスポーツ選手にも波及し、NBAのスター、ステフィン・カリーや6階級制覇を果たしたボクシングの世界王者、マニー・パッキャオらも、現役を長く続けるブレイディの食事法に着想を得たとしている。
ペイトリオッツ、バッカニアーズ時代の相棒で、ともに栄光を分かち合ったタイトエンド(TE)ロブ・グロンコウスキー(2022年シーズンで引退)は、「クリーンな食品を摂る大切さ、糖の摂り方についてはとても参考になった」と、選手生活に役立てていたことを明かしている。
ブレイディの食事法については賛否がある。ペイトリオッツ時代のチームメイトからは「鳥のエサを食べているみたい」「厳しすぎて無理だ」と酷評を浴びせられ、科学的根拠に基づいていない点も見受けられる。
ただ、自身の体と向き合って、ベストと思う食品だけを選択し、常に最上を求めてきた姿勢は結果に表れている。ブレイディの食事内容はさておき、「長く競技するためには食が大いに関連があること」、「衰えを感じる前に食で試合への準備をしてきたこと」、何より「続けること」は多くの人の参考になる部分ではある。
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