ニュートリション関係者の人物背景や取り組みについて紹介するシリーズ企画。第4回目は、神戸女子大学・坂元美子さん。
坂元さんは、スポーツ栄養学がほとんど知られていなかったころからプロスポーツ現場での栄養指導に携わり、0からノウハウを確立してきた。特に、野球、サッカーの成長期世代の栄養指導・サポート経験が豊富で、チームの強化にも一役買っている。長年の指導経験を後進に伝えながら、多くの人にスポーツ栄養学を知ってもらうべく、活動を続けている。
体が弱かった子供時代、食で体が変化することを知る
今でこそいろいろなスポーツ現場で選手への栄養指導を続けていますが、子供のころは病気がちで満足に運動できなかったんです。小児ぜんそくを患っていて、体育の授業を毎回見学するような子供でした。
そのころを知らない人にこの話をすると、「え、うそ!?」といわれるんですよね(笑)。今はピンピンしていますし、あちこち飛び回っていますから。小児ぜんそくは体力がついてくると改善する傾向にあるんですが、なかなか良くならなくって。親も心配したと思います。
ぜんそくの治療のため、週1回注射を打ちに病院へ通う日々が続く中で、いつしか病気で苦しんでいる人を助けている看護師の仕事に魅力を感じるようになり、高校卒業後の進路は「看護師」と心に決めていました。
でも、比較的体力を使う看護師の仕事に不安を感じていた私の父親が「これからは栄養(管理栄養士)の時代だ」と。この言葉が人生を変えました。管理栄養士がどんな仕事かわからず、「へぇ、そんな職業があるんだ」くらいにしか思っていませんでしたが、「食から患者さんの助けになろう」と管理栄養士を目指すことにしました。
当時、管理栄養士の養成課程があった神戸女子大学管理栄養士養成課程を受験しました。実は、卒業生なんです(笑)。それで、大学4年間で栄養学の勉強をしているうちに、「私は何て恐ろしい(体に良くない)食生活を送っていたんだ」とがく然としました。
私の子供時代はちょうどインスタント食品やファストフードが身近になったころ。両親が自営業で不在が多く、私が妹に食事を作っていたんですが、何も考えずに加工食品や添加物たっぷりの料理を食べていました。その当時はおいしいと思いながら・・・。
それで、大学で知識や情報を得ると自然と食生活が変わって、食べる物も意識するようになりました。大学卒業時には調味料すら使用しない、自然の物を自然のままが美味しいと。とにかく体にいい物を摂ることに徹底していました。今ではそこまでしませんが(笑)。
食生活の改善を図ると劇的に体調が良くなり、幼いころから長く続いていた通院生活からも卒業できたんです。だから、食で体が変わることを身をもって体験していますし、自らの経験を指導現場でも生かすことができていると思っています。
スポーツニュートリショニストへの道は突然に!?
もともと「病院患者のための栄養サポート」を目指していたので、スポーツニュートリショニストになろうとは思っていませんでした。体が弱かったし、スポーツとは無縁の生活でしたから。大学卒業後、兵庫医科大学で研究室の実験補助をしていたんですが、そこでたまたまというか、運命の出会いというか、大きな出来事がありました。
ある時、大学の病院にオリックス・ブルーウェーブ(当時)の選手が受診しに来て、選手の診療が終わるまでの間、同行していたトレーナーと世間話をしていました。話の流れで、私が「管理栄養士なんですよ」と言うと、トレーナーの方が「シーズンオフ中にダイエットさせたい選手がいるから、メニューを作ってくれませんか」と依頼され、引き受けることにしました。
引き受けたのはいいんですが、当時はスポーツ栄養学の概念がなく、方法論が確立されておらず、相談する相手もいない。さて、どうしたものかと。スポーツ選手だからタンパク質がしっかり摂れるメニューを作成して提出しました。
その後、トレーナーの方から「選手の体調管理や栄養の指導をしてほしいので、定期的に来てくれませんか」と言われ、ボランティアでチームに通うことになりました。当時のオリックスは仰木彬1)監督の下、「日本一になるために新しいことをどんどんやっていこう」といったムードがあり、栄養面もしっかり考えていこうと。当時としては最先端のことをしていたと思います。
そして、1年間のボランティアを経て、球団専属の管理栄養士として採用されました。「3年間で結果を残してください」という内容で、チームの優勝に貢献すること以上に、選手一人ひとりに食への意識をしっかり植え付けることが重要でした。
2月1日の春季キャンプから帯同する予定で準備している最中に阪神・淡路大震災が発生し、どうなることかと思いましたが、無事チームとも合流できて、スポーツニュートリショニストとしての第一歩を踏むことになりました。
1) 昭和30年代の西鉄ライオンズ(当時)黄金期の二塁手として活躍した。現役引退後はコーチを経て、近鉄バファローズ(当時)、オリックスの監督を歴任。日本一1回、リーグ優勝3回を経験し、名将の呼び声が高い。イチローや野茂英雄ら、日本が誇るメジャーリーガーを育てた。
選手一人ひとりを知ることが信頼関係に結びつく
1年間ボランティアとしてチームにかかわり、選手や関係者とも顔なじみになっていましたが、栄養指導をすることが必ずしも全員に受け入れらたわけではなかったんです。
チームに合流した当初ですかね。栄養講習をした時、「なんでこんな話聞かなきゃならないんだ」と言われたこともありました。
確かに、学生時代いろいろな我慢や努力をしてやっとプロ野球選手になって、また強制されたくないという気持ちもよくわかりました。だから、まずは選手一人ひとりを知って信頼関係を築き、頭ごなしに言わないようにしようと心がけました。
健康診断の時に簡単なアンケート調査をして、選手たちの食に関する嗜好やパターンをすべて頭に入れ、選手が食事をしているときに「野菜食べた方がいいよ」とか「お菓子は食べ過ぎていない?」とか、とにかく会話をするようにしていましたね。
寮のメニューも改善する必要があったんですが、選手の要望や調理師の考え、栄養バランスと、自分の考えがあるものの、急激に変えるとうまくいかないことはわかっていたので、徐々に変化させていくようにしました。とても気を使いましたけどね。
やはりチームに帯同してコミュニケーションを密に取っていくと、選手や関係者もだんだん私の言うことを理解してくれるようになりました。仰木監督、中西太2)ヘッドコーチ、山田久志3)コーチをはじめ、指導者の方々の全面的なバックアップも大きかったと思います。
特に、中西ヘッドコーチは選手に「ちゃんと言うことを聞かなきゃだめだぞ」と促してくれましたし、山田ピッチングコーチはチームが好調だったこともあって、「勝利の女神」と呼んでくれました(笑)。
とにかく、当時のオリックスはチームの目標がはっきりしていて、全員が同じ方向を目指し、一丸になっていました。こういうチームが強くなっていくんだと学びました。
2) 本塁打王(5回)、首位打者(2回)、打点王(3回)の打撃3冠タイトルをすべて獲得した「怪童」。選手時代は仰木氏とともに西鉄ライオンズ黄金期を支え、中心打者として活躍した。史上最年少のトリプルスリー達成者。
3) 史上最高のサブマリン(アンダースロー)の使い手。現役20年間を阪急ブレーブス(オリックスの前身)一筋で過ごした。通算284勝(歴代7位)、最多勝3回をはじめ、数多くの投手タイトルを獲得。
長く健やかに過ごすためには成長期の食事がカギ
スポーツ現場での指導にノウハウがなかった分、すべて一から考える必要がありました。いろいろな栄養の正しい情報や知識を自分で身につけ、選手たちに指導を行う一方で、選手たちから学ぶ機会が多かったのはとても貴重な経験でした。
選手もいろいろなタイプがいて、型通りにはめて同じ指導をすることはできないとわかりました。例えばイチロー選手は、世間的にストイックなイメージがありますが、食事に関しては全然そんなことありません。「食べたい物を食べたいときに」というスタイルでした。
だいたい、選手が「好きな物を食べる」というと、焼き肉ばっかりとか栄養バランスが偏ってケガが多くなってしまうんですが、彼の場合、体形がほとんど変わらず維持できているから、体に必要な物を摂れていると理解しているんですね。
だから、私が何を言うまでもなく実践できている。自分の体質をわかった上で必要なことを無意識にできるのがトップアスリート。彼は理想像でしたね。そういう意味でセンスがあるといってもいいかもしれません。
イチロー選手のように優等生ばかりだとありがたいんですが、必ずしもそうではありません(笑)。それをどう意識づけしていくことが私の仕事なので。正直、苦労した選手もいました。「栄養指導なんか必要ねぇ」って。
ただ、その選手は多少無理な食生活をしていてもケガをしないんですよね。よくよく話を聞くと、体を作る大事な時期(小、中学生)に、加工食品とか吸収の良い物ではなく、自然の物を食べていたそうです。おやつが煮干しだとか。
加工食品が悪いとは言いませんが、それらばかり食べていると食品の体への吸収力が上がっていかないんですね。成長期にきちんとした食生活を送ることで吸収力がつき、体の基礎ができていれば、大人になって多少無理をしても体がびくともしない。その選手と接することで、いかに成長期の食事が大切かを学びましたし、その後の私の考え方にもつながりました。
トップアスリートや長くスポーツを続けていきたい場合、成長期に適切な物を摂ることで、体が作られて成長のピークが終わり、代謝などが下降していく25歳以降、食事はもちろん、サプリメントもうまく使いつつ、アスリートの体を維持していくことができます。
アスリートの競技レベルは昔と比較するとかなり上がっていて、選手の負担も大きくなっています。効率良く栄養を摂っていかないといけないなと思っていますし、昔ながらの食事が良いというのも、現在の多様化する食生活に合わなくなってきている部分もあるので、時代に合わせた栄養指導を心がけています。
思いを共にする指導者との出会い
私がオリックスに在籍した間、1位、1位(日本一)、2位と、チームは結果を残しました。私の行ったことは微々たることだとは思いますが、「食が大事」という意識をチームに根づかせることができたのではないかと思っています。
アスリートへの栄養指導のノウハウを確立できた3年間でしたし、非常に勉強になりました。私が学んだことや実践してきたことは冊子になって球団に残しており、入団した選手がそれを読んで食の大切さを学んでくれています。冊子を参考にして、現役生活が少しでも長く続くと嬉しいです。
オリックスとの契約が満了した後は、トレーナー、鍼灸師などを育成する専門学校でスポーツ栄養学の講師として生徒に教えていました。当時はまだスポーツ栄養学への理解が乏しく、最初に教えた生徒は3人。それでも翌年には数十人になり、やがてすべてのカリキュラムでスポーツ栄養学を教えることになりました。
週4日の勤務の傍ら、派遣管理栄養士という形で女子サッカーのINAC神戸レオネッサの栄養指導も行い、神戸女子大学が健康スポーツ栄養学科を設立するということで母校に戻りました。大学では、オリックス時代に気づいた中学生、高校生といった成長世代への指導・サポートをしっかりやりたいと考えていました。
いろいろな出会いからサッカー選手・チームへの栄養指導が多くなってきました。私の中では、京都橘高校(京都市伏見区)4)での指導がとても大きなものになっています。共通の知人を通じて米澤一成監督と出会い、栄養指導をする傍ら、データ収集も積極的に協力していただきました。
京都橘は今でこそ、インターハイ(IH)、冬の選手権出場の常連校になりましたが、私がかかわったころはまだそこまでの強豪ではありませんでした。ここでもオリックスと同様、米澤監督、選手たちの勝ちたい気持ちがとても強くて、真剣に取り組んでくれました。
米澤監督のすごい所は、自分のチームが取り組んでいることを他のチームにも共有して栄養の大切さを広めてくれました。普通なら、そういう話は外に出さないんですが、いいことはライバルとか関係なく伝える。素晴らしい人格に引っ張られて、私も高めることができたと思います。
日ノ本学園(兵庫県姫路市)5)の監督をしていらっしゃった田邊友恵さん(現:ノジマステラ神奈川相模原アカデミーダイレクター兼U-18監督)との出会いも私にとって大きな経験でした。
定期的な栄養講習、身体組成検査、個別の栄養相談、食品とコンディションに関するデータ収集とさまざまなことを行いながら、女子選手特有の生理現象を踏まえた指導ができたと思います。
田邊さんも栄養に関しては私に一任していただき、お互い信頼しながら動くことができました。やはり、指導者の方が食事や栄養の重要性を理解していらっしゃると、選手やチームの成長は促されると感じます。
男女の高校サッカーもさることながら、Jリーグでの成長世代への指導も行っていますし、競技問わず多くの場所で、特に成長期の食事・栄養摂取の重要性を知っていただくために飛び回っています。
4) IH出場5回、選手権出場8回(準優勝1回)。多くのJリーガーを輩出。
5) IH優勝5回、選手権優勝3回を誇る高校女子サッカー界屈指の名門校。
オリックスの経験に始まり、成長期世代を中心にこれまで経験を積んできましたが、大学に所属している以上、研究や後に続く人材の育成もしていかなくてはなりません。でも、もう少しだけ現場での指導は続けたいですね。
また、これまで私が培った知識やノウハウ、スポーツと食の関連性をもっと多くの人に伝えていきたいと考えています。今、「スポーツ栄養アドバイザー」という資格認定を行っていて、資格はどなたでも受検することができます。
栄養士でなくても鍼灸師やトレーナー、指導者などプロフェッショナルからスポーツを頑張っているお子様を持つ一般の方まで、自分が携わっているスポーツをしている人に栄養の知識を持っていただき、正しく成長していくためのお手伝いをしていきたいと思っています。
神戸女子大学健康スポーツ栄養学科では、学科内の必要なカリキュラムを取得し、合格するとスポーツ栄養アドバイザーの資格を取得することができます。有資格者には、講師登録制度も設ける予定で、私が携わっているスポーツ現場へ代わりに行っていただき、現場経験を積んでスポーツ界に栄養の重要性を広げてもらいたいと考えています。
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