小笠原 礼子(Reiko Ogasawara)

<略歴>
1986年3月24日、青森県南津軽郡生まれ

チアリーディング(15年)→ チアダンス(4年)→ NBAダンサー:デトロイト・ピストンズ(20-21、21-22年シーズン)→ユタ・ジャズ(22-23年シーズン)

チアリーディング時代は競技会で日本一。Xリーグ(アメリカンフットボール)WJBL(女子バスケットボール)Bリーグ(男子バスケットボール)都市対抗野球など、スポーツシーンでのチア経験が豊富。

NBA22-23年シーズン終了後に帰国。後進の指導、渡米を目指すダンサー/チアリーダーへのサポートなどをおこないながら、チアのジェンダーレス化を図るべく活動する。

大好きなチアの世界で生きて行くと決めた!

チアに夢中になった高校時代(中央)

―チアの世界に入ったきっかけを教えてください。

チアリーディングを始めたのは、高校生の時。とはいっても、指導者もいなければ、今のように動画で学べる環境ではありませんでした。見よう見まねでやっていたこともあって、当時は危ない練習をしていたなと思います。

競技に夢中になったきっかけは、地元・青森県で開催されたアジア冬季競技大会(2003年)。県内のチアリーダーが集まって、大会を盛り上げるためのオープニングパフォーマンスを演じることになったんです。

その準備のため、東京から毎月JCAの方が来て、基礎から演技に至るまで初めて本格的な指導をしてもらい、「指導者がいれば、私はもっとうまくなれる!」と思いました。

このころにはチアが大好きになっていたので、長く携われる道がないかと考えた末に、「指導者になる」と決めていましたね。

大学でもチアリーディングを続けていたんですけれど、高校と同じように指導者がいない環境だったので、改めてチームに入って競技者としてのキャリアを築く必要があると考えました。指導者になった時に、自分が知らないことを人に教えるのは嫌だし、説得力に欠けますからね。

幅広いチア、それぞれの演技特性

―「チア」にはいろいろと違いがありますが、それぞれどのような特徴があるのでしょうか?

「チア(Cheer)」が持つ意味の通り、「元気」「勇気」「笑顔」を周囲に届けるみたいな点は一緒ですが、チアリーディングとチアダンス、プロスポーツにおけるダンサー/チアリーダーは、それぞれで特性が異なります。

まず、チアリーディングは、飛んだり跳ねたりするアクロバット(スタンツ)の要素が強く、技の難度やダイナミックさ、力強さなどが求められます。フォーメーションを組んで、ピラミッドなどの大技を見せるシーンなどは、みなさんもよく目にすると思います。

私のキャリアのほとんどはチアリーディングで、トップ(空中で演技する人)を支えるベース(土台)を務めることが多かったですね。体を酷使する競技でもあるので、結構ハードな一面もあります。

【参考動画】ダイナミックなチアリーディング@USA Cheer 

チアダンスは、チアリーディングのピラミッドなどのスタンツ部分を除いた、ダンスに特化したものです。個の能力の高さはもちろん、集としての同調性や美しさなどが求められます。

「審査員が完成度を評価する」点では共通していて、世界的な競技大会も開かれます。過去には日本のチームが出場して、好成績を挙げたケースもあるんですよ。

【参考動画】同調性のチアダンス@USA Cheer
Pom部門 Jazz部門 Hip Hop部門

そして、チアダンスから派生し、エンターテインメント色を強めたものがスポーツシーンでのダンサー/チアリーダーで、バスケットボールやアメリカンフットボールのプロスポーツなどでよく見られるものです。

こちらは得点を競うものではないので、アクロバットが得意な人、ダンスが上手な人などさまざまな個性・要素を組み合わせて、観客を盛り上げる演技をします。

さらに、NBAはダンス要素が強く「NBAダンサー」、NFLは華やかさや応援の要素が強いので「NFLチアリーダー」と表現が異なり、各チームによってカラーも変わってきます。

【参考動画】観客を盛り上げるNBAダンサー、NFLチアリーダー@NBA Dancers、Dallas Cowboys
Detroit Pistons Utah JAZZ Dallas Cowboys

ダンサーへの転向、見据えた先は本場・アメリカ

チアリーディング競技会(左)、サンロッカーガールズ時代(右)

―ダンサーへの転向、アメリカに目が向いた理由は何だったのでしょうか?

上京して仕事をしながら、チアリーディングのクラブチームで活動をしていました。ダンサーへの転向理由は、本当にささいなことから。私自身、周囲に元気を与えるようなチアの空気感が大好きですし、自分の性格にも合っていると思っています。

チアの集まりとかで「アメリカのチアっぽい一発芸やって!」みたいなことを言われると、ついつい乗ってしまう(笑)。それで場が盛り上がると、自分もみんなも楽しい気分になる。

そんなことを続けていると、周囲から「チアの本場でやってみたら?」と言われるようになって、その気になって「確かにそうかも!」ってノリで(笑)。「アメリカでやってみたいな」という気持ちが芽生えました。

チアリーディングを極める道も考えましたが、私は何より新しい事を始めるワクワク感を大事にしてきました。東北から東京へ出てきたのもそうですし、ダンサー転向も同じ。チアリーディングからダンサーへ転向するケースはそれほどないのですが、28歳で新しい挑戦をすることにしました。

本場を目指すためには、ダンサーに必要な技術を身につけなくてはいけません。チアリーディングもダンスの部分はあるんですが、何しろ土台が多かったもので(笑)。

仕事とクラブ活動の合間を縫ってレッスンへ通い、ダンスの基本的な動きから始まって、先生の振り付けを習ったり、トレーニングしたり、自分に足りなかったことを吸収する時間に充てました。

レッスンに通ったのはいいものの、当時はアメリカのオーディション情報を得る方法がわからず、自分が進みたい方向へどうやったらたどり着けるのか。見えない部分はありました。

そんな時に、サンロッカーガールズ(Bリーグ・サンロッカーズ渋谷)専属チアリーダーの動画をたまたま見つけたんです。見てみると、ヒップホップもあれば、ジャズもある。レベルもかなり高い。

動画はまさに、私がイメージしているアメリカのパフォーマンスそのものでした。エンタメの幅が広いダンサーの方が自分に合っていると思っていましたし、バスケコートで踊る自分を想像しやすかったですね。

しかも、サンロッカーガールズのディレクターは、オクラホマシティ・サンダー(NBA)でダンサーを務めた石井尚子さん。「ここしかない!」と思ってオーディションを受けました。

ただ、チアリーディング畑の私がいきなりうまくいくわけもなく、1回目は不合格。あきらめずに2回目を受けて合格し、ダンサーとしてのスタートラインにつくことができました。

非常事態の中でアメリカ挑戦を決断、合格したものの…

―ダンサーとしての一歩を踏み出し、アメリカへの道が開けました。

仕事をしながら、2017年からサンロッカーガールズとして活動を始め、2年目が終わった時点でディレクターに「アメリカへ行こうと思っています」と相談しました。

「まだ早いかもしれないよ、1回現場を見てきたら」と促していただき、現地へ飛ぶことにしました。すぐ行動に移しちゃうタイプなので(笑)。

全米のプロダンサー/チアリーダーが集まるキャンプに参加し、チアをやりたい子たちの多さ(競争率)、ロールモデルとしてのチアの位置(文化の高い定着度)など、環境の差を目の当たりにしました。

うまく踊れず、レベルの違いを感じたんですが、「この環境に飛び込めば、もっとうまくなれるかもしれない」とも思い、高校時代に味わった感覚が蘇りましたね。

やはり、動画などで間接的にのぞく世界と、実際に行って体験した世界ではまるで違う。熱量だとか、アメリカのスタイルだとか、新しいワクワク感が生まれました。

この経験を得たことで、ダンサーとしてもっと成長したい、アメリカへ行きたい気持ちがより強くなっていきました。ただ、3年目のシーズン途中(2020年2月ごろ)に世界中が大変なことになり、Bリーグも中断、突然メンバーたちとも会えない状態になって…。

事態がいつ終息するのかが見えない中で、このまま日本で続けるのか、アメリカに挑戦するのか。一人で過ごす時間が増え、いろいろと考えた末に「行く」と決断し、サンロッカーガールズの活動が終わる6月を待って渡米の準備を始めました。

勤めていた会社も「この状況では先が見えないから、休職して行けばいいよ」と私の挑戦に理解を示し、背中を押してくれたのはとてもありがたかったです。

身辺を整理して、いつでもアメリカへ行く準備ができていましたが、肝心のオーディションがなかなか開かれない。トレーニングを続けながら、行くに行けないもどかしさばかり募る毎日。11月になって、ようやくデトロイト・ピストンズのオーディション情報が開示され、奇跡的に合格することができました。

―狭き門といえるNBAダンサーのオーディションですが、入団までのプロセスはどのように踏まれていくんですか?

通常であれば、①写真・履歴書提出・書類選考→②ダンス課題の演技(動画)×数回→③ダンス課題の演技(現地)×数回→④インタビュー(面接)。チームによりますが、だいたいこの流れで進んで行きます。

インタビューで聞かれる内容は「VISAはあるか(就労・長期滞在が可能か)」「なぜチームを選んだのか」とか、基本的なことが多いですね。

ピストンズの時(1回目)は、渡米が難しかったこともあり、すべてオンライン。順番が来たら審査員とつないで、画面越しにダンスを踊りました。効率的に審査できるので、最近ではオンラインも取り入れたオーディションの形が増えてきているようです。

―オーディションでアピールするにはダンスはもちろん、言葉でのコミュケーションも大切だと思います。英語力に自信はあったのですか?

中学生のころから英語は好きで、大学でも専攻していたのですが、細かな表現まではなかなか…。だから、外国人とのオンラインレッスンなどを通じて、〝生〟の英語を体験しながら、少しずつ慣れていきました。それでも英語は不安で、渡米してからも苦労しました。

並行して、対策もしっかりしました。聞かれるであろうことをかなりの数シミュレーションし、緊張した状態でも答えられるように準備しました。それこそ、模範解答をいくつも作って(笑)。もともとコミュニケーション能力には自信があったので、その点は問題なかったと思います。

―チーム加入の1年目はスムーズにいかなかったことも多かったそうですね。

私が参加予定だった2020-2021年シーズン、NBAは72試合に短縮され、その多くは無観客。ダンサーの活動は限定的で、私もVISA申請の遅れなどがあって、アメリカへの渡航許可が出されたころにはシーズン終盤という状況でした。

ほとんど実働することなく、次シーズンのオーディションを再び受ける形になりました。ダンサーの契約は基本1年なので、シーズン開始に合わせて毎年オーディションが開かれ、人員が入れ替わります。

2年目のオーディションを受け直して合格し、通常に戻ったNBAで、ようやくダンサーとしての役割を全うすることができました。

念願のアメリカ生活、日本との相違点

―NBAダンサーとしての生活。日本とアメリカでは文化や食事など違いがあると思いますが、いかがでしたか?

デトロイトの冬は極寒なんですが、緯度がほぼ同じの青森県育ちなので、全く気になりませんでした。2年目に移籍したユタ(・ジャズ)も同じような気候でしたが、問題なく。気候面は入団したチームによって当然変わってきますね。

生活面では、やはり言葉。英語は思うように伝わらないし、相手が何を言っているのかもわからない。遠慮がちな日本人特有なのか、最初は同じことを何度も聞き返すのは申し訳ないと思って、わかったフリをして返事することが多かったです。

でも、それ自体が失礼なことと気づいてからは、理解できるまでしっかり聞き直す習慣が身につきました。伝えようとする気持ちは相手に伝わりますし、きちんと受け止めてくれますから。

ダンサー同士の意思疎通に関しては、やはり同じチームで演技をする仲間。ジェスチャーや短い言葉で十分通じますし、心配することはなかったです。

35歳で渡米しましたが、日本では当たり前のようにできていたことができない。ダンス以外にも生活(費用の捻出など)の部分も考える必要があって…。楽しい時間でしたが、最初のうちは苦労したな、キツかったなと感じることが多かったです。

でも、渡米するにあたって、たくさんの人に応援してもらっていたので、それが励みになって壁を乗り越えられたことは確かです。

1年目はホームステイをしていたんですが、パーティーなど日本ではあまり習慣のない行事が結構あります。私の場合、「とにかく果敢に飛び込む」。言葉はわからなくても、その場にいる。雰囲気を味わいながら文化を受け入れる。この姿勢でいました。

食事は不安点の一つでしたが、ホームステイ先のご家族が健康志向だったので、食生活が乱れることはありませんでした。ユタでは一人暮らしをしていて、日本と全く同じ食材を手に入れるのは難しいものの、お米はありますし、似た食材も手に入ります。だから、それほど身構える必要はないと思います。

日本とは違って、コンビニエンスストアなどですぐに何でも手に入れられる環境ではないので、そこは慣れていくしかありません。だいたい、少し離れた大型マーケット(アジア系など)で1週間分の食材を買い込んで…みたいなスタイルが一般的かな。

私の場合、健康にはかなり気を使っていたので、日本から食べ慣れた食品を持ち込んだり、食品メーカー(ZENB:プラントベース食品)さんにサポートしてもらったりしながら、日本と変わらない食生活を送るように心がけていました。

―チームに所属するダンサーは、1週間をどのように過ごすのでしょうか?

ピストンズもジャズも、チームとして集まるのは毎週火曜日と木曜日。18時くらいに集合して、練習を終えるのは22時くらい。私は、技術を上げるために集合前、練習後も体を動かしていたので、他のメンバーより時間を割いていたと思います。

ダンスはみなさんもご存じの通り、とてもハード。体力づくり、トレーニングも欠かせません。チーム全体として取り組んでいましたし、個人でも続けていました。

日本でもアメリカでも、ダンサー/チアリーダー1本でというのはなかなか難しい世界ですから、その他の時間は仕事をしていました。私は「O-1ビザ1)」での渡航なので、フィットネスやエクササイズなどダンスに関連する職種に限定されます。

日本で就職先を見つけて行ったわけではなく、現地で働ける場所を探し、体づくりの目的で通っていた近所のスポーツジムで働かせてもらっていました。実は、働くことになったのもコミュニケーションからなんです。

「あなた、ダンサーなの?」みたいな言葉のやりとりから始まって、お互いのことを理解しながらコミュニケーションを重ね、「じゃぁ、働いてみる?」みたいな感じで進んでいきました。ノリと言っては雑ですけど、縁で生まれたものですね。

働くにあたっては、チーム、ビザスポンサー2)、弁護士などに確認し、仕事をする環境を整える必要がありますので、注意すべき点として挙げておきます。

1) 各分野で卓越した技能の保持者に対して発給される 2) ビザ申請者・保有者の保証人

―アメリカでは個性を大切にする意識が高い印象ですが、実際はどうなのでしょうか? 

アメリカは人種のるつぼでさまざまな人が生活しています。州によっても法律が違いますし、独立性の強い国ですね。だから、各チームのダンサーも、独自性を持たせる形にはなりますし、考え方も変わってきます。

ピストンズは、女性のみではあったんですが、それこそ個性の集まりで容姿・年齢は関係なく、ダンサーとしての評価をしていた印象です。

ジャズも同様ですが、多様性を強く感じました。ジェンダーフリーだし、志向も問わないメンバー構成で、オーディションを突破した人たちがチームに集まった。そこにはLGBTQに特別な意識はないですし、わざわざ枠を設けてメンバーに入れるなんてこともありません。

言い換えれば、「社会として許容している」「当たり前」の感覚があるので、わざわざ焦点を当てる必要性がないんだと思います。ジャズに行きたいと思った理由も、多様性を重んじる文化があったからなんです。

渡米した当初、初めて自分が外国人として生活するわけですから、引け目を感じていた部分も確かにありました。でも、メンバーから「レイコは、ここにいること自体が素晴らしいんだよ。私にはできないこと(をやっている)」と言われた時に、「あ、私は私でいいんだ!」と気づきました。

「私、太ったかも…」と体型を気にすることもよくあったんですけど、「どこが? ヘルシーでいいじゃない。むしろ素敵だよ。誰が気にするの?」と、コンプレックスを忘れさせてくれる。彼らもコンプレックスはあるにはあるんですが、ほとんど気にすることはない。そういった土壌があるんですよね。

アメリカに行って学んだことは、多様性、個性を認める姿勢。今後生きて行く中ですごく大事な部分に触れることができました。

誰もが楽しめるのがダンス、垣根のないチアの世界をめざす

帰国後にはダンサーチームのディレクターを務めた

―日本に帰って来てから新たな生活が始まっています。どのようなことをおこなっていますか?

まずは、アメリカでの経験を踏まえてダンスを教えること、ダンサーを育てることです。現状を見ると、ダンスをする人はきれいで細身の人というイメージが強いですよね。それはそれでいいと思います。

でも、ダンスはみんなの物だし、太っていても痩せていても、容姿もジェンダーも年齢も関係なく、誰でも楽しめるものなんです。だから、いろいろな垣根を取り払った形のダンス界を理想像として描いています。

こうした考えがあるので、帰国後にダンサーチームのディレクターを務めた時、メンバーの応募要件を「18歳以上の男女問わず」としました。ただ、実際には男性を加えるメンバー構成にはなりませんでした。これは、スポーツシーンでのダンス=チア=女性のイメージがまだまだ強いのと、目的の違いからくるものと考えています。

男性ダンサーに「オーディションどう?」と話をしても、「チアでしょ? ポンポン持って踊れないよ」と返ってくるんです。いろいろと種類があること、男性が活躍できる場があることがまだまだ伝わっていないので、そのイメージも変えていきたいですね。

日本には、ジャズやヒップホップなど素晴らしいダンスを披露する方がたくさんいます。彼らは、ダンスイベントや発表会などで高い技術を見に来た人たちに向けて演技をするわけです。

スポーツシーンでのダンサーは、バスケなどの試合を見に来た人たちを盛り上げるため、アクロバットやダンスを披露するエンタメです。演技の目的にズレがあることも、素晴らしいダンサーたちをスポーツの場面に呼び込めていない理由として挙げられます。

いろいろな課題があって、日本全体を変えることは困難な道ですが、少なくとも私の周囲ではアメリカで学んだマインドを大切にしながら徐々に変えていければと考えています。

地元・青森県での講演活動

それから、海外でダンサー/チアリーダーを目指す人たちのサポートもしていきたいですね。

海外を目指したいと思っていても、生活面や言葉、コミュニケーションなど不安なことがあると思います。英語ができるに越したことはないし、念入りに準備して行くことも必要です。

でも、何より「挑戦したい」という気持ちを大事にしてもらいたいです。年齢も関係ありません。勢いで突き進む私のやり方が正しいとも思いませんが、私にもできたことなので、やりたいことがあるならちゅうちょせず、勇気を持って挑戦してもらいたいと思います。

私が伝えられることはすべて伝えながら、夢に向けて頑張る人たちの背中を押していきます!取材裏話

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