はじめに

本連載の初回にあたって、「なぜ幼児期や児童期といった子供の頃に運動をすることが大切なのか?」を考えてみたいと思います。

この問いに回答するときには、2つの側面があると思っています。第一に「運動能力や競技力向上」といった側面、第二に「人間的な成長」といった側面です。

私自身は、現在、後者について子供の運動の価値を高める研究活動をしていますが、前者についても、少し教科書的になるかもしれませんが、示してみたいと思います。(中野貴博)

「運動って楽しい!」を実感する環境の減少

そもそも、なぜ大切かと考えている時点で運動を手段として捉えている「運動手段論」の考え方になります。ただ、子供においては、運動をすること自体が価値を有するという「運動目的論」という考え方もあります。

本来、後者に即した運動実施を増やすこと、つまり「運動って楽しい!」という気持ちを育むことが本質だと思います。一方で、近年の社会環境は、このような運動目的論を育むには向かない状況になっているのも事実です。

公園や空き地、以前であれば駐車場のような空間で、子供が運動をすることは制限され、仮に運動をすることが許されている空間でもボールが使えなかったり、さまざまな利用規制があったりと、子供が自由に発想して運動や外遊びをすることは難しくなっています。

これは言い換えれば、運動や外遊びをすること自体が楽しいという思いを感じづらい環境になっているともいえます。より根本的には、大人の都合で形成されたこのような社会環境の変化をもう一度考え直し、子供が自由に遊びまわることを楽しめる環境を取り戻すことが必要だと考えています。

しかし、このような環境改革は、一朝一夕にはいかず、長い時間をかけて社会の価値感を変えていかなければなりません。そこで、今、私たちができることとしては、「子供の頃に運動や体を動かす遊びをすることが、なぜ大切なのか」を発信して、少しでも子供の運動の価値を高めていくこと。さらには、子供に運動の機会を提供するキーマンである保護者や保育者、教育者の皆様に理解を深めてもらうことしかないのだと思っています。

運動神経の発達は児童期前半までがカギ

さて、少し前置きが長くなりました。しかし、この連載を続けていくにあたって、前述のような価値観の転換は重要なキーになるので、必要な前置きだと思っています。では、今回の主題に戻ります。主題は、「なぜ幼児期や児童期といった子供の頃に運動をすることが大切なのか?」でした。

最初に、運動能力の発達の側面から、その理由を解説します。ここでカギとなるのは、神経発達の過程です。実は有名なゴールデンエイジも、この神経発達の過程を踏まえた考え方です。

ヒトの神経発達は、古くはスキャモンの成長曲線(図)に示されているように、児童期の前半ぐらいまでが発達のピークで、実に95%以上がこの時期までに形成するといわれています。一口に神経といってもさまざまあるわけですが、運動に関する神経においても同様のことがいえます。

スキャモンの成長曲線(参考資料より改変)

さらに、神経発達には、「過増殖」という特徴的な現象があります。ヒトは小さいころにさまざまな外的刺激を受けることで新たな神経を形成していくわけですが、実はその過程においては、必要以上の神経形成が見られます。これが過増殖といわれるものです。簡単にいえば、一つの動きをするために形成される神経回路が一通りではなく、いくつも過剰に生成されるということです。

過増殖の影響で、小さいころは、最も合理的とはいえない回路を通って命令が下されることがしばしばあり、結果的にぎこちない、ちょっと不器用な感じの動きになるといったイメージです。

しかし、ヒトには最も合理的な回路だけを残す「回路の剪定」という機能も備わっており、不器用な動作でも繰り返しおこなうことで最適化されていきます。ですから、小さいころに未熟で非合理的な回路であっても、まずは神経回路を形成しておくことが大切になります。

さらにいえば、ヒトの神経回路は無限に形成できるわけではないので、そのキャパシティーの大半が児童期前半ぐらいまでに形成されます。結果的に、この時期に形成されていない運動神経の回路は、それ以降に形成し、合理化されていくという過程をたどりづらくなってしまいます。だからこそ、少々未熟であっても小さいころにいろんな動きの回路を形成しておけるような体験を重ねることが大切なのです。

最近では、一つの運動ばかりをやって選手としては大成するけれど、それ以外の動きはできないなどという選手もいます。本来的には、生涯にわたって運動、スポーツを楽しむためには、いろんな動きの引き出しを子供の頃に増やしておいてほしいものです。

【参考資料】多田直人(四国大学) ほか : 指導アプリで子どもの運動不足を解消する ―新たな運動環境のきっかけと習慣化のために-, 笹川スポーツ財団

リーダーシップの育成、協調性の向上は運動と相関

次に、人間的な成長といった側面から、子供の頃の運動の大切さを解説します。子供の運動実施や体力・運動能力に関しては、悪化傾向が長く続いています。もちろん、体力測定値が低下すること自体も問題なのですが、これは、子供の運動機会が減少していることの反映でもあります。

つまり、運動や体を使った遊びを通したさまざまな学びの機会が減少しているといえます。体力測定値は、日頃の運動活動の成果ですが、もっと大切なのは、その過程において子供が獲得する「人間的な成長」なのかもしれません。

近年では、社会の利便化が進んだこともあり、体力自体が以前のような水準になることは難しく、むしろ、途方もない目標値のようにすらなっています。かといって、運動を促進することをやめるわけにはいきません。なぜならば、学校や幼稚園、保育園、地域で運動を指導している先生や指導者は、決して記録の向上だけではなく、他のさまざまな教育的意義やヒトとしての成長を運動実施に見出しているからです。

そのような意味合いからも、最近は、幼児期では「非認知能力」や「社会情動的スキル」、児童期では、「生きる力」などといった能力の重要性が再認識されています。実は、これらは似た概念で、欧米では、これからの時代を生きる子供が獲得すべき重要な教育目標に掲げられている要素に近いものです。ある意味では、子供が運動をする教育的意義そのものともいえます。

より具体的には、協調性や意欲、やり抜く力(GRIT)、リーダーシップ、創造性、コミュニケーション能力、さらには、思考力や情報リテラシーなども該当します。一見、運動や体力とはかけ離れたような概念にも感じますが、最近では、運動実施とこういった能力の獲得の関係性が示されてきています。

幼少期、児童期の運動で得られるスキル

そして、一番大切なのが、これらの能力、特に、非認知能力や社会情動的スキルが最も備わるのは10歳頃までであるという点です。つまり、児童期中頃までに、運動などを通して、これらの能力を獲得することが期待できるということです。もちろん、この時期以外でも能力の獲得は期待できますが、運動を通してこれらの能力を獲得できるとなれば、この時期を逃す手はないと思います。

ここまで通して見てくると、運動技能の獲得といった側面からも、運動を通した人間的な成長といった側面からも、児童期中頃までの運動実施がいかに大切かということがわかります。私たちのように、現在、運動に携わる仕事をしている人間の多くは、運動実施を通して様々なものを学び獲得してきました。その事実と実体験があるからこそ、一人でも多くの子供に運動をしてもらい、よりよい成長や将来の楽しいスポーツライフに役立ててほしいと思っています。

今回は、導入として子供の頃に運動をする意味を紹介しました。次回以降、体力、運動能力の側面や教育的効果の側面、あるいは生活習慣との関連などについても紹介していきたいと思います。時折、運動をするにあたっての環境構築や家庭環境などといった話も交えながら連載を続けていきたいと思っています。今後の連載も楽しみにお待ちいただき、引き続き読んでいただければ嬉しく思います。

中野貴博(中京大学 スポーツ科学部 教授)

体力向上、活動的生活習慣から子どものスポーツ学を研究する第一人者。スポーツ庁や地方行政などと協力しながら、子どもの運動環境の改善、社会の仕組みを変えようと尽力。子どもとスポーツを多角的に捉えた論文も多数発表している。