走ったり、踏ん張ったり、物をつかんだりするとき、ヒトはそれほど意識することなく力が入れられる。その力の源が爪の存在によって生み出されていることをご存じだろうか? ひとたび爪に不調があれば、途端に活動しづらくなる経験をした人も多いはずだ。
一般的に、爪が割れやすい人が多い欧米では、ネイルケアがビジネスや生活に深く入り込み、スポーツ現場でもそれは生かされている。昨夏の東京五輪に参加し、多くの出場選手に対して爪のコンディショニングをおこなったネイルトレーナー・木村春香さんは、「スポーツだけでなく、健康な毎日を送るためにも爪のケアは重要」と語る。「伸びたら切る」とおざなりに扱いがちな爪だが、実は自身の健康を映すバロメーターでもあり、きちんと意識しておけば豊かな日々を送ることにもつながる。
栄養とも親和性があり、スポーツや運動、日常の健康とも関連深い「爪」に関して、日本にネイルケア文化を根づかせようと日夜奮闘する木村さんに月1回の連載で解説していただく。第1回目は、木村さんがこれまでおこなってきた活動やネイルケアに対する熱意などをうかがった。
すぽとり編集部(以下、すぽとり) ネイルケアに目を向けるようになったきっかけは?
木村春香(以下、木村) 私はもともと、いわゆる「おしゃれ」を施すネイリストで、ジェルを中心にしたカラーリングなどのサービスをお客様に提供していました。さまざまなお客様の爪と触れる中で日ごろから、同じ施術をしていてもジェルの塗りに良し悪しが出てくることに疑問を感じ、「どんな人にでも塗りが良くなる施術をするにはどうしたらいいか」を考え続けていました。
それで、肌のコンディションが悪いと化粧の乗りが悪くなるのと同様に、爪も健康でないとジェルの塗りが悪くなると思い、お客様とのカウンセリング・コミュニケーションを通じて健康・爪の状態を把握し、各々に即したジェルの選択・施術をするように心がけました。
そうすると、やはりジェルの塗りも安定し、どのお客様でもきれいに仕上げられるようになったので、健康と爪、爪の健康と体調に関連性があって重要なことだと気づきました。店舗の営業方針もあり、施術時間に限りがありましたが、お客様のニーズには応えられたと思っています。それから、おしゃれな爪よりも「爪の健康、コンディショニング」に関心が移っていった気がします。
すぽとり 木村さんはスポーツ選手を中心にネイルケアをおこない、東京五輪にも参加されました。スポーツや運動シーンと爪には何か関連があるのですか?
木村 スポーツだけでなく、健康な日常を送るためにも爪のケアはとても重要なことです。詳しくは今後、私の連載で解説していくことにしますが、スポーツや運動に限れば、爪のケアはパフォーマンスに直結するものです。その点に気づかされたのが東京マラソンなんですよ。
ネイルサロンにいた時、お客様に「何でもいいから、足の爪に色を塗ってください」とリクエストされました。「おしゃれに仕上げるためのネイルサロンなのにどうしてだろう?」と疑問に思って聞いてみると、「東京マラソンに出場するんだけど、走っている最中、爪が折れないようにガチガチに固めてほしい」とのことでした。
初めてのリクエストでお客様の満足のいく施術ができたかが気になりましたが、それ以上に、おしゃれを目的として爪を飾る人だけでなく、スポーツなどパフォーマンスを上げる意味で爪に気遣うニーズがあることを初めて知りました。自分の考え方にも合っていたので、それから競技スポーツ・運動の勉強を始め、ネイリストではなく、「ネイルトレーナー」に立場が変わっていきました。
すぽとり スポーツ・運動と爪の関連性について説明されるまで気に留める機会がありませんでしたが、確かにどう考えてもパフォーマンスに結びつきますよね。当然、五輪を始めとするスポーツともかかわりがあるのも予想できますね。
木村 2013年に東京五輪の招致が成功し、2020年に開催されることが決まって、ボランティアでもいいから何か携われればとボンヤリ考えていました。スポーツや運動は人並みにやっていましたが、五輪だけは小さいころから欠かさず見ていて大好きでしたから。
それで、2016年リオデジャネイロ五輪の時ですね。選手村を紹介するニュースを見ていたら、一瞬ネイルサロンが映ったんです。「え!? 五輪にもネイルサロンってあるんだ!」とわかり、東京五輪でも同じようにサロンが設置されるのであれば、絶対に参加したいと思うようになりました。
すぽとり やはり、自分と身近なところにはすぐに目が行きますよよね。東京五輪の選手村でもサロンが設置されるのは決まっていたんですか?
木村 いいえ。この時点では全く決まっていなかったし、うわさもありませんでした。でも、可能性はあるなと思っていました。もう賭けですよね(笑)。あと、口にしていると実現できると思い込んでいたので、いろいろな人に営業していました。
4年間で何をすべきかを考え、スポーツ選手への施術経験を積み、知識の蓄積をして、いつ声がかかってもいいように準備はしていました。技術や知識が伴っていなければ、選手たちの力にはなれませんからね。
すぽとり 運ではなく、自身で手繰り寄せた感がありますが(笑)。有言実行ですね。
木村 いろいろな騒動がありましたけど、東京五輪が無事に開催されて良かったです。開催中は夢心地で、ずっと選手村にいたかったです。家に帰るのがイヤになるくらいでした(笑)。
すぽとり 選手村ではどんなことをおこなっていたのですか?
選手村にはおしゃれを目的とするネイルサロン、爪のコンディショニングをするネイルケアのスペースが設置されました。私がおこなっていたのはもちろん、選手の爪の状態を健康に導くためのネイルケアです。
手・足、両方とさまざまな施術を希望する選手がいましたが、足のリクエストが最も多く、海外の選手には大変好評でした。私が施術したのは32か国の選手で、柔道、ウェイトリフティング、射撃、陸上などあらゆる競技でしたが、海外の選手が圧倒的に多かったですね。
すぽとり 訪れる大半が海外の選手ということですが、これはネイルケアに対する認識の違いということにもなりますか。
木村 そうですね。海外ではそもそも爪に対する意識が高く、最初にネイルケアをして、オプションでおしゃれネイルという考え方ですから。そうした環境があって、海外の選手は「試合前の調整」のために爪をコンディショニングするのです。中には、ミリ単位で爪の長さを調整する選手もいて。コンディショニングの一環として、爪一つ一つに気を使っている姿勢はさすがだなと感じ入りました。
一方で、日本を含めてネイルケアの概念が定着していなさそうな国は、「試合後のリラクゼーション」を目的として利用している傾向にありました。
これは、‟爪文化”の成熟度の違いにも表れていて、手足の指先のケアを任せられる専門家が少ない(知られていない)というのもあると思います。施術する側としても、(スポーツへの理解・勉強をして)選手の気持ちになって、パフォーマンスを発揮できるようにイメージしながら爪を預けてもらえるようにならないといけませんね。日本でも徐々に増えてきてはいますが、まだまだこれからだと思いますよ。
すぽとり 爪のつくりに地域による特徴はあるのでしょうか。日本人はこんな特徴があるとか。
木村 髪の毛と爪は、構成する成分が同じなので、一般的に髪質と爪の質は比例するといわれています。そう考えると、髪の毛が細く金髪が多い欧米人は薄く柔らかく、アジア系の人の髪の毛はしっかりしてコシがあるので硬い傾向にあります。
欧米人は爪の強度に問題がある(割れやすい、トラブルが起きやすい)傾向だから、ネイルケアの文化が発展し、施術する需要や場所も多いということになるわけです。先ほどの環境の違いにつながってくる話でもあります。
すぽとり 私たちアジア人は髪質から爪が硬い傾向にあるわけですが、何か利点はあるのでしょうか?
木村 一説によれば、爪が硬いと手先がよく動く(指先に力が入りやすい)とされています。米粒に字を書いたり、ミニチュアアートを作成したり、手先の器用さが求められることは日本人、中国人が得意な印象がありますよね。これは、髪質(=爪の質)、国民性、性格にも表れている気がします。
ただ、やはり個人個人で爪のつくりは違うし、選手(クライアント)がどうしたいのかなどをしっかり聞いて、その人にあった施術を考え、より良い方向に導くことがネイルトレーナーとして一番大切なことですね。
すぽとり 五輪を通じて世界を垣間見ましたが、これからどんなことを行っていく予定ですか
木村 東京五輪への参加でとてつもない満足感を得ることになりました。その反動で燃え尽き症候群になるかなと思いましたが、そんなことは全然なく(笑)。むしろ、世界との差を感じたので、日本でもスポーツだけでなく日常生活でもネイルケアを続けることで状態が変わることを知ってもらいたいですし、もっともっとネイルケア文化を根づかせたいと考えています。
私自身、施術できる人数が限られておりますし、ネイルトレーナーはすごく素敵な仕事だと思っているので、もっとたくさんの人に知っていただき、職業にしたいと思う方が増えたら嬉しいなと思っています。
すぽとり すぽとりの連載ではどのようなことをおこなっていきましょうか?
木村 スポーツ・運動に特化した話題もあれば、一般の人に向けたネイルケア術など、爪の基本的なことから始め、実践的な部分まで幅広くお伝えしていきます。
すぽとり 爪の健康、ネイルケアについて一人でも多くの人に理解をしてほしいですね。これからよろしくお願いいたします。
木村 みなさんの力になれるように頑張ります! <<次回へ続く>>