現地時間1月29日、テニスの全豪オープン(オーストラリア・メルボルン)男子シングルス決勝がおこなわれ、世界ランキング4位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)が同3位のステファノス・チチパス(ギリシャ)を破り、10度目の優勝を果たした。
ジョコビッチはこれで、グランドスラム(GS:全豪・全仏・全英・全米の四大大会)22回目の制覇。ラファエル・ナダル(スペイン)と並んで歴代トップになり、世界ランク1位に返り咲いた。
35歳とベテランの域に達し、なお一線級の活躍を続けるジョコビッチだが、プロ転向当初はなかなか実力を発揮できないでいた。その原因の一つは体質と食事の不適合。食生活の改善後、みるみる成績は向上し、残す偉業は年間GS全制覇のみになっている。
エリートプレーヤーが開花するまで
ジョコビッチは1987年5月22日、ユーゴスラビア(現セルビア)・ベオグラードで生まれた。両親はレストランとテニスアカデミーを経営しており、親族はみなプロスキーヤー、父もサッカー選手として活躍するほどのスポーツ一家だった。
ジョコビッチは、数ある競技の中でテニスを選び、ずば抜けた才能を持っていたという。
幼少期はユーゴスラビア内戦※)の真っただ中で、ジョコビッチ自身も爆撃の危険にさらされ、避難のために長期間地下での生活を余儀なくされたこともある。
ジョコビッチは自著「Serve to Win」で、この時の苦難がより一層テニスに打ち込む原動力になったと記している。
※) 1991年から始まった民族紛争。多様な民族・言語で連邦国家を形成していたユーゴスラビアで民族主義が叫ばれ、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなど各国が次々と独立。才能のある選手が豊富で「東欧のブラジル」と呼ばれていたサッカー・ユーゴスラビア代表は、紛争の制裁措置によって出場予定のヨーロッパ選手権から直前で締め出された(代替出場のデンマークが優勝)。
6歳の時(1993年)、元女子テニス選手でスポーツコーチのイェレナ・ジェンチッチの目に留まり、テニスの指導を仰ぐことになった。
ジェンチッチは、モニカ・セレス(ユーゴスラビア/アメリカ、GS制覇9回)、ゴラン・イワニセビッチ(クロアチア、2001年全英制覇)ら数多くの選手をジュニア時代に発掘し、育成したことで知られている。
6年間ジェンチッチのコーチを受けた後、ジョコビッチはドイツに渡り、14歳(2001年)でジュニアのシングルス、ダブルス、団体戦の3部門でヨーロッパ王者に輝くと、15歳(2003年)でプロ転向を果たす。
2005年の全豪オープンで4大大会初出場を飾り、男子プロテニス協会(ATP)主催の大会でも初優勝、ランキングはトップ100以内に上昇していた。
まだ若く本格化前だったこともあり、2010年までは4大大会で優勝1回とジュニア時代の活躍と周囲の期待になかなか応えられなかった。
1歳年上で好敵手のナダルは、同時期までに全仏5回を含むGSで9回優勝しており、トッププレーヤーの仲間入りをしていた。
いまひとつ力を発揮できない中、ジョコビッチが明確に体の異変を認識した時があった。2010年全豪オープン、ジョー=ウィルフリード・ツォンガ(フランス)との準々決勝。2セット連取後、呼吸が苦しくなり、激しい嘔吐を催した。
自身も「以前から、トレーニングをしてもタンクの中の燃料がなくなっているように感じていた」と振り返っているように、長時間に及ぶことがあるテニスの試合で、エネルギー不足、体力の枯渇は致命的。試合の最後まで体力が持たないことに対して手を打つ必要性を感じていた。
小麦・乳製品の不耐性が判明、グルテンフリー食への転換
「いい試合をするけど、勝ち切れない選手」からの脱却を図るために方策を模索していたジョコビッチは、2010年夏にセルビア人医師、イゴール・セトイェビッチと出会う。
セトイェビッチは、ジョコビッチが突如崩れた全豪オープンを自宅で観戦しており、疲弊の原因が呼吸にあって、食事・栄養摂取が関連していると推測した。
「肺は腸と対になっているため、腸に異常がある(体が受けつけない食品を摂取する)と、肺の主な機能である呼吸と酸素の吸収まで損なわれてしまう。ノール(愛称)の場合、トップアスリートで極度のプレッシャーを受ける環境にもあり、肺がパフォーマンスに必要な十分な酸素を供給できる状態になかったんだ」と、後にセトイェビッチは明かしている。
血液検査の結果、ジョコビッチには小麦(グルテン)・乳製品に強い不耐性があることがわかった。
セルビアではパンやパスタが主食で、実家もレストランを経営していたジョコビッチにとって、小麦は子供のころから慣れ親しんだ物。なかなか受け入れがたかったが、セトイェビッチが推奨するグルテンフリー食を取り入れ、生活を変えることにした。
セトイェビッチは1年にわたってジョコビッチと行動を共にし、問題点の追求と改善に大きな役割を果たし、偉大なテニスプレーヤーになる手助けをした。
食生活を変えてすぐ、ジョコビッチの体に変化が出る。体は軽く、エネルギッシュになり、何よりよく眠れるようになった。効果を実証するためにあえて、パン食に戻した途端に体調は悪化したという。
ジョコビッチは食の改善以外にもトレーニング方法を変えたり、精神面の充実を図るため、瞑想やヨガを取り入れたりして、頂点に立つための準備をしていた。
劇的な体調の変化は成績にも表れる。ジョコビッチが出場した2006年以降のATP主催大会(GS含む)で、世界ランキングトップ10以内の選手と対戦し、長時間に及ぶ(体力勝負にもつれ込む)4セット以上の試合におけるジョコビッチの勝率を算出したところ、2010年までは8勝14敗(.571)で、年間負け越しか、成績タイに留まっていた。
食生活の改善に着手して以降の2011~2022年では70勝12敗(.707)と好転、ケガの影響が大きかった2017年を除き、すべて年間で勝ち越している(2011年のシーズンは9勝2敗)。
2010年まではまだ力が足りず、格上の相手に敗戦を喫したケースが多かったことを考慮する必要があるが、2011年以降はランキングが上がるにしたがって出場大会は増加し、勝ち進むことで試合数がかさむ上、対戦相手も強化されるため、むしろ体力や精神は消耗する状況にあった。
それでも勝ち切れるようになった要因は、「燃料がなくなっている」状態が食によって改善され、試合をあきらめることなく粘り強く戦えるようになったからだろう。
「肉体的にも、精神的にも、トップレベルの選手たちと同じコートで戦えると思えなかった。いくつかの変更を加え、それ(栄養)がすべてを変えた。挫折寸前から世界の王者になることができたんだ」
体力の疲弊に苦しんだジョコビッチは、足りなかった最後のピース(食事)をはめることによって、テニス界の頂点にたどりついたのだった。
グランドスラマーの食生活
ジョコビッチの1日は、20分ほどのヨガや太極拳から始まる。朝食を摂った後、90分ほどコートに立ち、クールダウンのためにストレッチをする。昼食を摂ったら、ウェイトや高強度のトレーニングを1時間、直後にプロテインドリンク(植物性)を飲んで回復を促す。その後、90分のヒッティングセッションをおこない、ストレッチをしてクールダウンする。
ポイントになるのは食事の摂取タイミングと必ずクールダウンをしていること。ジョコビッチは食事をすべて自分で作り、スマートフォンを見たり、本を読んだり他のことはせず、食べることだけに集中しているという。
以下、ジョコビッチが実践した3日間の食事メニューを紹介する。本やネット上でも公開されている物なので、体調に悩みがあり、食事や栄養摂取で現状を打破したい人は試してみるのも手だろう。
【1日目】
<朝食> 寝起きの水、蜂蜜大さじ2、ミューズリー(オーガニックグルテンフリーロールオーツ、クランベリー、レーズン、かぼちゃまたはひまわりの種、アーモンドを含む)
<午前の補食(必要な場合)>グルテンフリーのパンかクラッカーに、アボカドとマグロを挟んだ物
<昼食> ミックスグリーンサラダ、グルテンフリーパスタプリマヴェーラ(ライスパスタ、サマースカッシュ、コートレット、アスパラガス、サンドライドトマト、オプションでヴィーガンチーズを使用)
<夕食> ケールシーザーサラダ(ケール、フェンネル、キヌア、松の実)+ドレッシング(アンチョビまたはサーディン)、ミネストローネスープ、サーモンフィレ(皮付き)+ローストトマト+マリネソース
【2日目】
<朝食> 寝起きの水、蜂蜜大さじ2、バナナのカシューバター添え、フルーツ
<午前の補食(必要な場合)> アーモンドバターと蜂蜜を塗ったグルテンフリートースト
<昼食> ミックスサラダ、スパイシー蕎麦サラダ(グルテンフリーの蕎麦、赤パプリカ、ロケット、カシューナッツ、バジルの葉、スパイシードレッシングを含む)
<午後の補食> フルーツとナッツのバー、フルーツ
<夕食> ツナニコワーズサラダ(インゲン豆、カネリーニ豆、ロケット、ツナ、赤ピーマン、トマト、ひよこ豆の缶詰)、トマトスープ、ローストトマト
【3日目】
<朝食> 寝起きの水、蜂蜜大さじ2、グルテンフリーオーツ(カシューバターとバナナ入り)、フルーツ
<午前の補食(必要な場合)> 自家製フムス(ひよこ豆とグルテンフリー醤油を含む)、クルディテを添えたりんご
<昼食> ミックスグリーンサラダ、グルテンフリーパスタ(ライスパスタ、クルミ、バジルの葉を含む)
<午後の補食> アボカドとグルテンフリーのクラッカー、フルーツ
<夕食> アボカドと自家製ドレッシングのミックスサラダ、人参と生姜のスープ、鶏の丸ごとレモンロースト
ジョコビッチの食事(食事療法)については、考える点がある。グルテンフリー食はあくまで、ジョコビッチの体質に合致した物で、スポーツ選手にとってそれが有益なのかは議論が分かれる。
Serve to Win の著者で、アメリカ人医師のウィリアムズ・デイヴィスは「グルテンは、ホルモン状態のゆがみを生み出し、運動能力を麻痺させる可能性がある」と言及している。
一方、健康なスポーツ選手がグルテンフリー食にすることで得られる大きなメリットは見受けられない※)との見解もあり、確たる根拠を待つ必要がある。少なくとも、ジョコビッチと同じような症状がある人の助けにはなるが、万人に当てはまるということでもなさそうだ。
※) Dana M Lis et al.: Dietary Practices Adopted by Track-and-Field Athletes: Gluten-Free, Low FODMAP, Vegetarian, and Fasting, Int J Sport Nutr Exerc Metab, 29(2) 236-245 (2019)
食事・栄養摂取はパーソナルな部分が大きいため、トップ選手がおこなっていることを模倣したところで、好結果が得られるとは限らないのである。ジョコビッチにはセトイェビッチ がいて、いろいろなことを試して最終的に食事・栄養摂取にたどりついた。そして、いまだ王座に君臨している。
もし、成績を伸ばしたい、将来のために今から食事・栄養摂取を考えてみたいという人は、栄養学の専門家に相談したい。セトイェビッチのように解決手段を講じる大きな助けになってくれるはずだ。
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