指導者たちが選手育成、チーム強化のためにどのようなことを考え、取り組んでいるのかを追求する連載企画「指導者たちの心得」。

第4回目は、強豪ひしめく埼玉県を制し、2017年夏の全国高等学校野球選手権大会で優勝を果たした花咲徳栄高等学校・岩井隆監督の心得。

長年、チームの指揮を執る岩井隆監督は、4人の師から大いなる薫陶を受け、さらに自身の指導哲学をとして深化させてきた。変わりゆく時代に合わせた最善の指導方法を模索し続けている。

後編は、岩井監督が花咲徳栄を率いて以降、どのように指導方法や考え方が変わっていったのか? 指導哲学の本質を探っていく。

【4の師】学校長・佐藤照子の婉曲的訓示

花咲徳栄で稲垣人司監督と甲子園をめざし、選手と向き合っていた岩井監督だったが、尊敬してやまない師との別れは突然やってくる。

稲垣監督が2000年秋、練習試合中に心筋梗塞を発症し、帰らぬ人になってしまったのだ。新チームになり、春のセンバツを志す中での出来事で、岩井監督は急きょチームを率いることになった。

「監督になる気なんて全くなかったんです。稲垣監督と一緒にいることが幸せだったので。だから、自分の野球なんて全くないし、いきなりチームを率いるなんてできっこないと思っていました。

選手たちからは『練習はどうしたらいいですか』と矢継ぎ早にくる。周囲は『弔い合戦だ』って期待を寄せる。ノイローゼになりましたよ(笑)」

鬼軍曹からチームを率いる立場へ。岩井監督には大きなプレッシャーがのしかかっていた。そんな思い悩む岩井監督を知ってか知らずか、手を差し伸べたのが佐藤照子氏だった。

甲子園初出場が決まり握手をする佐藤照子氏(左)と岩井監督(花咲徳栄高校提供)

照子氏は、埼玉栄高校、平成国際大学などを運営する「学校法人 佐藤栄(さとえ)学園」の創始者・佐藤栄太郎氏の妻。同高の学校長で野球部長も務めていた。

照子氏はある日、岩井監督を校長室に呼び出し、こう言い放つ。「岩井君、来年の夏は、稲垣さんのためにどうしても獲らないといけない。あなたはどうするの?」。稲垣監督亡き後を託された岩井監督は返答に窮した。

照子氏の言葉は続く。「私が見ている野球部は、勝っているとオドオドするし、負けているとあきらめちゃうのよね。それは何でなの?」。

岩井監督は「自信がないからだと思います。『自分はこれだけ練習をしたんだから大丈夫』と自己暗示をかけるくらい、もっと練習をさせないとダメだと思います」と答える。

その刹那、「まだ私の生徒を苦しめるのか!!! あなたが変わらないと甲子園なんていけないから!!!」と、照子氏は部屋中に響き渡るくらいの怒号を発した。

道徳分野で藍綬褒章を受章するなど、教育に一過言を持つ照子氏にとって、岩井監督の考えは到底受け入れられるものではなかった。

「では、どうしたらいいですか?」と尋ねると、照子氏は「走らせなさい」。「走って良い選手ができるなら、みんな走らせますよ」と、岩井監督も食い下がる。「いいから。校長命令です!」と突き放された。

「照子先生は普段、本当に穏やかな方なんです。でも、あの時の気迫といったら…。今でも鮮明に覚えています。照子先生には、野球人としてではなく、教育者としての精神を注入していただいた気がします」

照子氏の命令で、走ることを練習メニューに加えたものの、岩井監督も選手たちも半信半疑。そして、系列の平成国際大学が箱根駅伝の出場を決めると、照子氏から今度は「彼らを見に行きなさい」と命令が下る。ここで、岩井監督は「走らせなさい」の意図をくみ取ることになる。

「駅伝の選手たちは、細い体で長距離を走り、険しい箱根連山へと挑むんですよね。それが苦しいこととわかっていながら。それでもチームみんなでタスキをつなぎ、乗り越えていく。

チームの和、団結力。苦しい時はみんなで助け合う、声を出し合う。照子先生は、チームにこれが足りないと言いたかったんだと理解しました。後日、照子先生を訪ねると、『今ごろわかったの?』ですもん。参りましたよ(笑)。

照子先生はハッキリと答えを言わない。考えさせるんです。『考えること』。これは、僕が監督を続けていく上で大切にしていることですし、選手にも求めていることでもあります」

照子氏の意図を理解した岩井監督や選手たち。1月以降、チームの雰囲気はガラッと変わり、選手たちはどんなに厳しい練習でも音を上げることはなくなった。

それが、これまでチームに欠けていた粘りや逆境での強さにつながっていく。

「僕も選手たちとの接し方は変わりましたよ。『練習が足りないから、勝てないんだ! 帰ったら練習!』から、『勝ち負けじゃない。自分の力を出し切れ。誰かがミスしたら、カバーし合おう』と。

選手たちは鬼軍曹の変ぼうぶりに戸惑っていたようでしたが、明らかに目の色が変わっていました」

そして、チームはいきなり結果を出す。4月の県大会、6月の関東大会を相次いで制し、その勢いのまま、夏の甲子園への切符までもぎ取る。稲垣監督の弔い合戦を最高の形で果たしたのだった。

「精神論、技術論、チームマネジメントと、恩師に出会うたび、自分に足りないものを肉づけしていきました。でも、『支える』とか、『みんなで』とか、チームスポーツの野球で一番大事なことがわかっていなかったんです。チームの作り方・勝ち方は照子先生に教わったようなものです」

自らを疑い、自主性重視の指導へ転換

岩井体制になった花咲徳栄はこれまでに、春のセンバツ4度、夏の選手権は2017年の優勝を含めて7度出場。今夏の埼玉県代表も十分射程圏内だ。

岩井監督は選手と向き合う中で、稲垣監督の理論を踏襲しているものの、チームや選手をどう動かすかなど、マネジメントを重視している。

稲垣・花咲のコーチ時代、プロへ行く選手は育つが、チームは勝てない。そんなジレンマを抱え、結局甲子園に手が届かなかった。その間も、集の力が足りないことを岩井監督は感じていた。

照子氏の叱咤からその重要性を痛いほど教わったが、いつまでもそれだけでは勝っていけない。時代は常に動いている。

「稲垣監督からは『守・破・離』の精神も学びました。監督になるまでは、これまで出会った師の教えを準拠し(守)、取り入れる(破)段階。

監督になってからは、自分の独自性を見出していく段階(離)に移りました。花咲を全国区にするため、いろいろと考えましたし、たくさん勉強もしました」

※道(武道、茶道、華道など)における修行の過程を表す言葉。「守」は「師匠や流派の教えを守る(基礎)」、「破」は「他の師匠や流派に教えを請い、良いものを取り入れる(応用)」、「離」は「それまでの教えを基に、新しいものを生み出す(独創性)」を表す。

そして、岩井監督が「離」の境地から導き出したのは「徹底力」だった。

練習は何よりも勝る武器。選手たちにはできるようになるまで徹底して挑ませ、能力を開花させる。選手は監督からの指示を徹底して守る。これが当時の岩井流だった。

そして、選手たちは岩井監督の理論と分析に基づく指示の通りに動けば、試合に勝てることがわかる。チームには好循環が生まれていた。

「組織的なチーム作りを意識していました。みんなが右を向けば右。こう打てとか、こう守れとか、僕の指示をとにかく徹底。そんな感じでしたね。

選手たちも甲子園の談話などで『監督の言う通りにしたから勝てました』なんていうもんだから、僕も酔っていたんでしょう。この方法で間違いないと」

岩井監督指揮の下、突如として出現したシンデレラチームはその後、春のセンバツに2003年、2010年に出場。断続的に甲子園へ出場する強豪チームへとステップアップした。しかし、夏は初出場の2001年から再び甲子園の土を踏むのに10年の時を要した。

県内ではトップクラスだが、他チームも力をつけてくる中で「常勝チームになるには何かが違う」と、岩井監督は常に危機感を覚えながら、なおも考え続けていた。

岩井監督は、倫理の授業を持っており、哲学の文献を読む機会が多い。ふと哲学とは何かを探っていくと「なぜを追求すること」を指し、スポーツも芸術も根本には哲学があることを知る。

そして、文献には哲学の定義についてこうも書いてあった。「自らを疑うこと」「常識を疑うこと」。「徹底すること」に酔っていた岩井監督は自身の指導方法に疑いを持ち始める。

「『監督の指示を徹底する』。みんなが同じ方角を向いているようで、言葉としてはいいんですが、実は指示待ち族を作っているのではないか。

夏の県予選で1度負けたら終わりという恐怖、何万人も観衆が集まる甲子園で、選手たちが受ける極限の緊張感。その中で、本当に監督の指示なんて徹底できるのか。そこにこだわっているから、夏に勝てなくなったのではないか。そう考えるようになりました。

自分が築き上げてきたものを崩すのは正直怖かったです。でも、『選手たちに任せよう』と。選手自身に考えさせ、自立を促す指導に方向転換しました」

岩井監督自身によるスクラップ(廃棄)&ビルド(構築)は成功し、チーム状況は好転していく。

2011年夏に久々の出場を果たせば、2015年からは5年連続で甲子園へ。2017年には深紅の大優勝旗を花崎の地へ持ち帰り、埼玉県勢としては初の快挙を成し遂げた。

「選手たちはやがて社会へ出て行きますから、高校生のうちにいろいろな経験を積ませる必要があります。自分の未来を想像しようとか、野球だけやっていてはダメなんだとか、そう言い始めてから結果が出ました。

ある常勝スポーツチームの監督さんが同じような考えでチームを運営していたことを知って、自分の方向性は間違っていないんだと思うようになりましたね」

選手の自立心を養う指導をおこなう岩井監督だが、こうも話す。

「高校生が急に自立なんて、まぁ難しいです。だいたい毎年、3年生の6月末くらいからですね。急にチームがまとまり始めて、覚醒するのは。

ただ、そうなるまでの期間をどう過ごさせるのか。選手たちにはいろいろなことを指摘したり、話したりします。そして、『岩井監督が言っていたのはこういうことだったのか』と気づく。このプロセスがとても大事なんです。

選手たち自身が気づくのに時間はかかりますけど、真意を考えてもらって、自身の生活に役立てられれば、その先の人生にもきっとプラスになってくるはずです」

元鬼軍曹は非管理主義!?

岩井監督は、時代の流れと指導の変遷を分析したことがあり、いくつか分岐点が存在しているという。

それによれば、「水を飲むな」「スパルタ」など戦時教育が色濃く残っていた1990年代まで、海外からの知識流入によって戦略や理論が確立され始めた90年~2000年代。選手が考えに納得してもある程度で済ませ、指導者が親身になって教える2000年代以降。

近年は、インターネットや動画配信サイトが急速に普及したことにより、指導者や選手をめぐる状況は大きく変わった。スポーツを頑張る選手たちにとって、指導者の理論や哲学を吸収する以外に、自身を強化するための手段が増えたともいえる。

急速に進んでいく時代の中で、岩井監督は何を思うのか?

「今の選手たちは、生まれた時からPCやスマートフォンが身近にあって、情報量が豊富。

知らないうちに、投球や打撃のフォームが変わっていたり、突然見たこともない練習をしたりする選手がうちにもいます(笑)。話を聞くと、『YouTubeで見て参考になると思って』とか、『ネットで調べました』って返ってくるんです。

自分の中には稲垣監督の野球があるので、『ん!』と思うことは当然あります。でも、それだけじゃない世界は絶対にあるから、選手の自主性は認めてあげなければいけないんです」

岩井監督は、「昔のままの自分と、客観的に見ている自分がいる」と表現し、変化を敏感に捉えながら、時代に合わせた指導をする。

「選手たちを尊重し、まずはやらせてみる。効果があるかはわからないけど、30分だけやってごらんと。そればかりではないよとクギをさしますが。

選手たちの行動に対して、論破することは簡単です。骨格や体の柔軟性に合っていないとか。こちらは長年選手を見てきて、理論も持っていますからね。

でも、選手たちがいいと信じて持続していることを無理やり止めさせることはしません。それに、バチッとハマって成長してくれれば、それに越したことはないんです」

選手たちが自主的に考えた練習を続けさせるのか、止めるのか。岩井監督は選手たちを注視しながら、その線引きと声をかけるタイミングを見計らっている。

「何回か選手を見て、なおも続けているようなら『なぜその練習をしているんだ』『効果は出ているか』と声をかけます。『継続は力なり』ですし、飽きさせないというのも必要だと思います。

ただ、それでも投打で結果が出なかったら、『俺はこうだと思うよ』と諭したり、はっきりと『今はやめてくれ』と言ったりします。この判断を下すまでに時間はかかりますし、難しいんですけどね。

人は長所と短所が表裏一体で、時期によって変わってきます。選手の長所が出ている時は続けさせ、短所が目立ち始めたらやめさせる。これが目安ですかね。自立が自由にならないように絶えず目を配っています」

寮で暮らす選手が多い花咲徳栄。岩井監督は、選手の自立心を促すため、なるべく私生活に立ち入らないようにしている。

「スマホの使用や食べる物などは管理していません。これは選手たちを信じるしかないですね。

スマホは依存性が高く、誘惑も多いので、『ゲームばかりするなよ』とか注意喚起はしますが、野球の動画を見ることについては制限していません。

見ることはイメージ・発想力につながります。プロ野球選手のプレーを見ることで、練習や試合のイメージがつきやすくなり、フォーム改造の成功や成長のきっかけにもなり得ます」

野球を通じて選手たちの社会性を育む

甲子園常連校の花咲徳栄には毎年、岩井監督の指導を仰ぎたいと選手が集まってくる。そのため、チームは総勢約100人の大所帯になる。この中から精鋭が選ばれ、甲子園の舞台をめざしていく。岩井監督が重視するチームマネジメント力の本領発揮というところだ。

「レギュラー(Aチーム)を頻繁に入れ替えることで、チーム内競争を促し、全体を強化していきます。市内大会などは、控え組(Bチーム)に出場機会を与え、試合勘を損なわないようにしています。

選手たちには『選手としての目標を絶やさないこと』を常に言っていて、例えば、Aチームに入れなくても、大学で野球を続けたいのなら、今から準備を始めなさいとね。

ただ、Aチーム以外の選手の方が実は野心を持っていて、夜間の自主練習は場所の争奪戦が半端じゃないんです(笑)。全体的に野球への意識はすごく高いですね」

チーム内競争の激化は、甲子園常連校の強みになっている一方、部員100人の中で、甲子園をめざせるのはチームでもほんのひと握り。当然Aチームに残れない選手の方が多い。

大学4年間、ベンチ外で過ごした岩井監督は、そうした選手たちの気持ちが痛いほどわかる。ゆえに、Aチーム以外の選手たちへのフォローこそが大事と声を強める。

「新3年生になる時期を迎えると、野球部に所属しながら、勉強で大学進学を目指す子が出てきます。それは決して野球を諦めたのではなく、自分で違う道を見つけているのです。まさに『未来を想像する』ですね。

高校生は、自分の価値観が芽生える時期なので、選手たちが決断したことを否定してはいけません。

そういう時は『めざすなら六大学な!』と発破をかけますし、彼らも『レギュラーには負けられません!』と勉強を頑張るんです。

進学クラスの先生からは『野球部の生徒は粘りや根性がケタ違い』とよく言われますよ。そこは、野球で培った集中力みたいなものが役立っているのでしょう。

残念ながら野球で才能が発揮できなかった子には、他競技への転向も促します。『その身体能力ならアメフトがいいかもね』とか。うちは、適性のある競技への転部も積極的におこなっていますから。

彼らの可能性は決して野球だけではないので、いろいろな話をして、前に進む助けになればいいと思っているんです」

岩井監督が選手たちに求めるもの。それは、「基礎や思考は崩さない」ということ。取材した日も、練習前に選手たちへ懇々と説いていた。

「Aチームじゃないとか、ケガをしているとか、人それぞれ立場があると思いますけど、コツコツと物事を進める、計画性を持って取り組む、といったことは意識すればできることですし、常々言っています。それができないと何も成長はありませんからね。これは、野球だけでなく、社会に出てからも必要になってきます。

本来なら、僕たち指導者が傍らで手取り足取り教えてあげなくてはいけないことなんですが、それでは指示待ち族を作ってしまいます。『言われなくもやる』『考える』。これができる人材じゃないと、プロ野球でも社会でも花は咲きません」

花咲徳栄からは毎年のようにプロ野球選手が誕生している。球団はある意味、獲得した選手へ投資することになるので、技術もさることながら、人間性や社会性なども問いたい。昨今、問題が頻発しているプロ野球界には特に求められるところでもある。

自主的に考える力、社会性を有していれば、壁にぶち当たった時の突破力にもなり、問題を起こすことなく厳しいプロの世界でも成長していける。

近年、花咲徳栄出身のプロ野球選手の活躍が目立っているのは、岩井監督による先を見据えた教育が実を結んだ結果といえるだろう。

ブレない岩井監督の指導哲学

「技術至上主義」「徹底力」「選手の自立」と、岩井監督は時代に合わせて指導方法を変え、結果を残してきた。いわば、第三形態まで進化してきたといえる。最後に改めて、岩井監督が大事にしている指導哲学をうかがった。

「高校生なので、土台(人間性、社会性)のところはブレてはいけないと思っています。

目標・目的(日本一)を三角形の頂点とします。半分に切ると、台形ができますが、これが土台に当たります。土台の部分が大きいほど、目標・目的の達成に近づくわけです。

高校生は、まだまだ未熟な部分がたくさんあります。考えていることと行動が同じだったり、浅慮だったり。だから、土台の部分が大きくなるように選手たちを教育・育成していく必要があるのです。

僕たち指導者も同様で、土台(指導哲学)の部分がしっかりしていなければ結果が出ません。

新しい考え方や育成方法、指導スタイルがどんどん出てきますが、日本人が持つ形や道徳を大切にしながら、選手たちがどこにいってもきちんと生活できるように教育・育成していきたいですよね。

昨今、パワハラや言葉の暴力などがささやかれ、指導者のみなさんは本当に苦しんでいると思います。それでも、言葉を選びながら、必要なことはしっかり伝え、やらせなければいけません。指導者がこれをできなければ、選手たちの将来が不幸になってしまいます。

指導者がブレると選手たちもブレる。だから、『ブレない心』。これは絶対に崩してはいけないと思っています」

今年も甲子園の季節がやってくる。土台を最も大切にする岩井監督が築き上げたチーム、選手たちがどのように躍動するのか。しっかり目に焼きつけておきたい。

花咲徳栄高校 野球部 メンバー紹介

★甲子園常連校をまとめるチーム運営の要(相沢天空さん:3年、マネジャー・学生コーチ

部活動と社会では「マネジャー」の捉え方が少し変わってくる。前者は、チームや選手を支える意味だが、後者はプロジェクトを遂行するためのリーダー。相沢さんは前者でありながら、後者の色を強く持つ。

「甲子園を目指して入学しましたが、選手に未練はありませんでした。2年生の時、岩井監督直々に指名されて、誇りみたいなものがありましたから。それからは、選手たちが成長する助けになれればと、毎日過ごしています」

相沢さんの主な役割は指導陣と選手をうまくつなぐこと。例えば、チームをふかんし、調子のいい選手を見極め、指導陣に進言する。一方で、選手たちの心情を踏まえて代弁し、指導陣に伝達する。チームを隅々まで理解する相沢さんは、チーム編成を考える上でも重要な存在になっている。

「選手に必要なことはハッキリ言うようにしています。立場は違ってもチームメイト。マネジャーの仕事を全うすることの方が大事です。チームがうまく回るように目を配るのが僕の役目ですし、選手たちを支えることがやりがいにもなっています」

人のために役立ちたい――この気持ちが強い相沢さんは、大学でも同職を続ける意思を持ちつつ、将来はサービス・流通の分野へ進みたいと考えているようだ。

しっかりした受け答え、ていねいな来客対応、撮影場所を探す際の細かい気配りなど、相沢さんが持つ社会性の高さは取材中にも垣間見えた。

岩井監督からは「相ちゃん」と親しまれ、信頼も厚い相沢さん。野球から離れてもきっと社会で役立つ人材になるだろう。それを生み出しているのは岩井監督の指導であり、何より親御さんの教育の賜物でもある。

佐藤栄学園 花咲徳栄高等学校
1982年、埼玉県加須市に男女共学校として設立。普通科と食育実践科が併設されている。

「理論と実践の一体化」「生活指導そく学習指導」「生徒と教師が共に学ぶ」を教育方針の柱とし、社会へ出ても通用する人材の育成を図っている。

男女野球部は全国屈指の名門校として知られ、これまでに30人がプロ野球界へ進んでいる。

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