表面化相次ぐ暴力問題、まさか…

今年3月、「部活動での暴力は撲滅可能か? 「非暴力」を訴えた遠い昔の話」という実体験に基づいたコラムを書いた。

ちょうどこのころ、筆者の人間形成に大きな影響を及ぼしたバレーボール界で次々と暴力問題が発覚し、憂いながらも自分たちが起こした行動を踏まえて「問題解決には、選手たち自身(と親)が声を上げることが大事」とした。その後も競技問わず、この手の問題は後を絶たない。

そして先日、NHKが「指導者が女子選手に暴力・暴言、懲戒解雇」と報じた。一見、これまでと同様の報道だったが、いくつかのワードが出てきた時にピンときた。そう、自分が指導を受けていた人物だった…。情報を精査したので間違いない。

女子を教えていたのは知っていたし、「まだやっていたんだ。バレーが本当に大好きなんだな」というのがまず先にきた。指導者に年齢制限はなく、長くやること自体決して悪いことではない。ただし、時代に合わせた指導方法、情報や知識のアップデートができればの話だ。

隠ぺいできていたころ、暴力・暴言に〝寛容〟だったころと違い、今は誰でも自己発信できるような時代。問題が表面化しやすくなっているにもかかわらず、昔の自分のままでは大問題になるのは必定といえる。

報道の内容を見ると、暴力に加えて「人間のクズ」といった精神攻撃もあったもよう。筆者の実体験では少なくとも、自分、もしくはその周囲に対して人間性を否定するようなことを言っていた記憶はない。年齢を重ねて悪い方に一層磨きがかかってしまったのか。何にせよ、衝撃は大きい。

それにしても、問題を表面化させたNHKには脱帽だ。各県に支局を設けられる余裕(資金力)があるので、目ざとく大きな問題を見つける取材力はさすがと言わざるを得ない。

暴力の血統、師匠から弟子へ負の連鎖

なぜ暴力問題が続くのか。筆者には一つの結論が出ている。「暴力の血統」。つまり、暴力を受けて育った選手が指導者になると、少なからず師匠のやり方に影響を受け、その中に暴力が組み込まれる。

その指導者から教わった選手が指導者になり、また…輪廻転生のように暴力は蘇る。暴力ありきの指導で結果が出てしまうと正当化され、周囲は文句をいえない状況になる。

実は、暴力の血統を物語るケースが身近にある。前述の指導者はバレー界へ多くの人材を残しているが、その一人に全国大会優勝監督もいる。直接的なつながりは少ないものの、筆者も知る人物で、遠い兄弟子といったところだ。この監督が受けた当時の指導の様子を聞いて、おぞましさを覚えたものだ。

結果が出せて良かったと思っていた矢先、暴力問題が発覚し、奇しくも〝2代〟続けてチームを追われることになった。個人的には残念だし、教え子の中には暴力血統から脱却している人もいる。

取材をする立場としては「まだそんなことをやっているのか」と憤りがあり、思いは複雑だ。以前、結果を残した側面だけに目が行って、両者に取材を試みようと思ったが、嫌な予感がして踏みとどまった経緯がある。

時代が進み、世代も変わり、現在の指導者の中心を形成する層は若返って、だいぶ暴力の血が薄まってきているかにみえる。しかし、日本スポーツ協会(JSPO)がおこなった調査※)によれば、暴力・暴言などをおこなっていたとされる指導者の年齢層は、実に約8割を40歳代以上が占め、高齢になるほど多い傾向にあった。

※) 中澤眞 (筑波大学) ほか : スポーツ指導における不適切な行為に関する調査, 日本スポーツ協会 (2020)

一方で、些細なことでも「パワハラ」の一言ですべてが片付けられてしまい、単純に指導者の問題なのか、選手にも問題があったのか、本質を見失いやすい状況ともいえる。暴力・暴言は行き過ぎた行為だが、中にはやむを得ない、酌量の余地が残るケースもあるように思う。

いずれにしろ、指導者が生きにくい時代といってもいいだろう。それでも、大半の指導者は、選手やチームを成長させるために自己改革し、時代に即した指導を続けている。

スポトリの連載「指導者たちの心得」に登場した指導者の中にも、暴力の血統に含まれる方がいて、選手に強い態度であたることは過去にあったと吐露している。指導者と選手の関係、選手の捉え方は時によって変わってくる。そして、「選手のためにならない」と考えた結果、自己改革してチームはいい方向に進んだ。

また、次回の連載で詳細を伝えるが、筆者の1学年上でライバル校の選手(今は他競技の指導者)は、「暴力を一切受けずに、自分たちで考えるような指導を受けてきた」と明かす。確かに、彼らのチームはのびのびとプレーしていたし、暴力に縛られていた筆者の1学年上のチームにほとんど負けたことがなかった。

さらに、「(指導者になってからも)選手に押しつけるようなことをしないように心がけている」とも話す。こうした「非暴力の血統」で育った指導者の頭にはそもそも暴力・暴言など存在しないのである。

部活動から暴力を根絶するためには、「非暴力血統の増加(指導者層の新陳代謝、暴力血統からの脱却・自己改革)」「選手の自主性を重んじた指導」ということになるが、後者は特にハードルが高い。自主性を重んじた結果、チームが崩壊する大きなリスクもある。

ただ、そこは指導者のマネジメント能力が問われてくる。加えて、社会性。これは、社会経験から得たさまざまな(タイプの)人との接し方、言葉のチョイス・伝え方や情報など引き出しを多く持つことと言い換えられるが、広い視野を持つことで乗り越えられるものでもあるだろう。

クビにして問題解決なのか? 暴力をふるう心理や場面を分析する必要がある

チームや学校側がキャリアのある指導者を招へいする意図は、「実績」「指導力」「人脈(リクルーティング)」にある。

同じ地域で長く指導をおこなってきた場合、特に下(中学校)との人脈は強く幅広くなっていき、選手を集めやすくなる。チーム強化(学校の知名度向上)もはかどる。よって、招へいする意図の中で、人脈が大きなウェイトを占めるだろう。

実社会においても人脈は、時にものすごい効果を発揮するもの。いい人材集めが強化の第一歩になるので特段否定するものでもない。多くの効果を期待して招へいした指導者が問題を起こした時、チームや学校側から排斥されるのも致し方ない。個よりも集を守る責務があるからだ。

「競技が嫌いになった」「暴力を受けて辞めた」といった選手たちの声は悲しくなるし、多感な時期にトラウマを植えつけるような行為をした指導者を簡単に許してはいけない。が、再発防止に活用するのも手ではないか。〝貴重な経験〟をした人間を社会からこのまま抹殺するのはもったいない。

先に触れたJSPOの調査はち密で、研究者が暴力・暴言を見聞きした人などからヒアリングし、客観的に分析しているので信頼性は高い。そこから一歩進んで、暴力・暴言をしてしまうシチュエーション(行為前後の心理状態、場所、時期など)を当事者たちから直接ヒアリングし、主観的な分析を加えてみてはどうか。分析結果から暴力・暴言の「なぜ」をひも解き、公表したうえで、再発防止の足掛かりにする。

実体験からみれば、暴力・暴言の理由として、指導の一環というよりもその日の機嫌、ストレスのはけ口というのが大きいと思っている。

当事者たちには講習などで自分がやってしまった過ちを話してもらい、自省を促しながら指導者に喚起する。バッシングを受けて人前に出るのはなかなか勇気のいることだが、ここで恥をかくことで再起の道も見えてくる。国は「再チャレンジ」を声高に叫んでいる。

問題を起こした指導者の中には、早々に復帰するケースも見受けられる。「暴力を受けた選手、保護者を含めて、チームの満場一致で指導者に問題がなかった」と結論づけられたことになるが、うがった見方をすれば、短期的な結果を求めて周囲が動いたともみえる。

「(暴力・暴言があっても勝てればいいといった)多数の同調圧力に屈して、復帰を認めてしまった」「すでに退部してしまったので、騒ぐ選手がいなくなった」ということであれば本末転倒で、問題を先送りしたに過ぎない。筆者の実体験でも少なからず、暴力・暴言を良しとする保護者はいたが、大多数は普通の感覚を持っていた。短期の結果よりも将来を案じて、指導者にとって耳が痛いことを直言してくれた。

本当に指導者が変わっていることが視覚化されれば、すぐに復帰してもいいと思うが、前述の3つの意図に加え、運営(チーム・学校)側の思惑、保護者の価値観などが絡んでくると問題解決どころではない。

だから、問題を起こした指導者たちの復帰には、周囲の心情や事情などを考慮せず、再発防止のための情報提供を促し、反面教師になってもらう。客観的(担当機関など)に当事者たちの自己改革が済んだと判断すれば再挑戦させる。ただし、2度目はないと明文化する。このようなプロセスが必要なのではないか。

今後、指導者のアウトソーシングが促される中で、問題はさらに拡大していくことが予想される。ならば、問題を起こす前の喚起、起こした後の指導者への対応などしっかり考えておくべきだろう。

この問題は長く根が深く、現場だけではどうにもならない。文部科学省、スポーツ庁など所管が本気で考えること。これに尽きる。スポーツ庁がいったい何をする機関なのかいまだに不明だが、きちんと問題に向き合ってほしいものだ。

そして、スポーツ界出身の議員センセイたち。まさにこの問題をよく知るのではないのか。法を作る立場にあり、国の問題として提起する役割も担っているはず。

本会議や委員会に出席するだけ、採決の数合わせのためだけに存在するなら、世間一般では仕事をしているうちに入らない。いったい何がやりたくて(ほしくて)地位にしがみついているのか。存在価値を自ら証明するべきだし、その責任は極めて大きい。

裏金づくりに精を出していないで、「本当」に仕事をしてくれないだろうか。

スポトリ

Kiyohiro Shimano(編集部、ISSN-SNS:スポーツニュートリションスペシャリスト)