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2021.11.26
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ソリ競技界の若き益荒男、仙台から世界を狙う! ~スケルトン日本代表・木下凜の長期的な栄養戦略~(最新レース結果更新)
Kiyohiro Shimano

(初公開日:2021年10月27日、レース結果を更新:2021年11月26日)
ソリ競技界に世界へ羽ばたく逸材が現れた。名は木下凜。仙台大学に通う20歳の益荒男1)だ。ソリ競技は、ボブスレー・リュージュ・スケルトンの3種目あり、木下は幼いころからさまざまな競技で才能を示してきた中でスケルトンを選択。早くから自己研さんに励み、弱冠15歳で全日本選手権2)を制した。現在、5連覇中で日本には敵なし、目指す視線の先はもはや海の向こう側になった。

来冬に開催される北京五輪を当面の目標に置き、世界レベルで活躍するために努力を続ける木下。日ごろどんなことを考え、競技に取り組んでいるのか。肉体強化のために行った食事・栄養戦略などを踏まえ、特集の「米」と合わせて伝えていく。

1) ますらお:強く勇ましい男子、雄々しく強い男
2) 使用コースの都合上、国内ではプッシュ(スタート)のみを競う。木下は高校1年生の時点で最も初速の優れたスプリンターになった。高いプッシュ技術は木下にとって世界と戦うための強力な武器。

お手本はチーター!? 中学3年生で将来を見据える

「おもしろかったから」。木下がスケルトンを選んだ理由だ。超有名バスケ漫画のキャラが放った「近いから」と同じようなセリフ。底知れない雰囲気もどこか共通している。スケルトンを選択した理由は単純だが、運命めいたものを何か感じたに違いない。

「かなり軽いノリで始めたんですよ(笑)。もともとジェットコースターが好きだったので、コースを猛スピードで滑走し、体がグルグル回るスケルトンは同じような感覚を味わえましたし、経験してきたスポーツと違って何かしっくりくるものがありました。それで、中学2年生の年にユースオリンピックが開催されるということで、本格的に打ち込むようになったんです」

楽しさから始めたスケルトンだったが、すぐに挫折を味わうことになる。目標としていたユース五輪には代表選考で漏れてしまい、出場すらかなわなかったのだ。大きな失望から「やめたい」の4文字が木下の中で大きくなっていく一方、「スケルトンで勝ちたい。負けたままで終われるか!!」と自らを奮い立たせた。木下は「これまでの自分を変える」と、体の動き、食生活、考え方…勝つためにできることは何でもやろうと決意し、スケルトンと真剣に向き合うことにした。

年齢に似合わず、しっかりとした受け答え、考え方をする木下の根底を探ろうと、自己分析してもらったところ「好奇心はかなりある方ですね」と答えが返ってきた。中学生のころから多くの講習会に出席して情報を集め、わからないことはすぐに自分で調べて納得のいく答えを見つけ出していたという。そして、競技のためになる部分は残して、それ以外の部分をそぎ落とす。そうやって、これまで自己の強化に努めてきた。

木下の好奇心おう盛さを示すおもしろいエピソードがある。とにかくプッシュ技術を上げたい一心で方法論を探求している中、「動物の動きを真似したら速くなれるかも」と、ふと思いついた。動物の走り方や筋肉の使い方を本や動画で研究するうちに、チーターにたどり着いた。

四足歩行で、走り出す時に背中を丸めて推進力を得るチーターの動きは、スケルトンのスタート時と酷似する。瞬時にトップスピードへと達し、100km/h以上で疾走するチーターの走りはまさにお手本だった。「最初はできると思いませんでしたが、体の使い方を真似ようと意識しているうちに動きが近づいていって、記録も伸び始めたんですよね(笑)」。並外れた発想力と実践力の持ち主だ。

木下には、野球、器械体操、水泳、バレーボールと、体の使い方が異なる複数の競技歴がある。どの競技でも好記録を残したようで、いわゆる「運動神経抜群の子」。これらの競技経験が結果的にスケルトンのためになっていると、木下は話している。

コースを滑走している間、上下左右に目まぐるしく姿勢が変わるスケルトンでは、どの位置に自分がいるかを把握する空間認識能力が必要とされる。猛スピードの中、体をコントロールして姿勢を保たなければ、速く正常に滑走することができないからだ。野球でフライを捕る時、「どこにボールが落ちてくるか」「どこに位置すればボールを捕れるのか」などを予測・把握するのと同様で、スケルトンに必要な能力の一つを野球で身につけた。

体操は柔軟性を高め、水泳はしなやかな筋肉づくりに役立ち、ジャンプする機会の多いバレーボールも、適度な着地衝撃が骨の成長を促すことになり、身長を伸ばす可能性を高める要因になった。実際、成長期に20cm以上も身長が伸びた。さらに、保護者の協力と理解、スポーツに打ち込む環境づくりも大きかっただろう。

「真剣にやると決めたからには、最低でも大学まで競技を続ける。そして、大学生のうちに日本一になる」と決めた中学3年生の夏。木下は今、少しだけ早いペースで成長を続けている。

自己強化の根幹「食事・栄養戦略」、絶大なる母の協力

成長期を迎えるまで体ができ上がっていなかった木下は「食事が今の僕を作ってくれました」と、パフォーマンスが急激に向上した裏に食事があったと断言する。

「中学1、2年生の時はとにかく体が小さく、この体では重いソリを押して速く走ることは到底無理だと。それで、とにかく『体を大きくすること』を考え、中学3年生の時に食生活を変え、高校生になってから本格的にウェイトトレーニングを始めました」

中学生のころはしばしば朝食を抜いていたが、それでは自分のためにならないと改善した。高校に入ってからは①朝食、②登校後(おにぎり)、③2時間目終了後(おにぎり)、④昼食、⑤⑥練習前後(おにぎり)、⑦帰宅後の夕食、⑧就寝前の補食と、1日7~8回食をとった。もともと1回で大量に食べられないたちだったので、少量でも食べる回数を増やし、空腹感がないような状態を維持。練習でかなりの運動量を消費するため、エネルギー補給を最優先に考えた。

また、筋肥大を図るためにたんぱく質も相当量増やした。食間に食べるおにぎりとセットでたんぱく質豊富な食品を摂取、大好物の鶏肉は鉄板食材だった。トレーニング直後は特に気を配り、低脂質・高たんぱく質・高糖質を常に心がけた。サプリメントは体に合わなかったため、食事だけでナチュラルな体を作ると決めた。

木下の長期的な増量計画では10kg/年を目標とし、高校入学時には60kgにも満たなかった体重も、今では80kgを大きく超えて増やすことに成功。「中学3年生までは全日本選手権に出ても成績が全く振るわなかったんです。高校でウェイトトレを始めて、補食をうまく活用し始めたらすぐに結果が出て。そのまま継続していたら高校2年生で日本新記録。食事を変えただけで記録が一気に伸びました。まさか、こんなにうまくいくとは思いませんでした」と、想像以上の成果に目を細める。

米どころ・宮城県で生まれ育った木下にとって、米、おにぎりは増量のパートナーといってもいいほどつながりが深い。「パンよりも米の方が好きで、高校の時はおにぎりばかり食べていましたからね(笑)。手軽に食べられますし、補食にも持ってこいです。増量したい時は小さなおにぎりをたくさん食べればいいし、低脂質でエネルギーがとれる。僕にとっては欠かせない物といえますね」。昨年、思うようにトレーニングができず運動量が減って一時90kg台まで体重が増えた時も、米だけはカットしなかった。木下いわく、「エネルギー源を断つことはあり得ず、脂質の摂取量をコントールすれば、減量できるとわかった」とのことだ。

理想的に増量できた背景に、何百・何千とおにぎりを握り、毎日食事を作り続けた母・奈々さんの絶大な協力があった。木下も「本当に恵まれていると思います」と感謝の気持ちを隠さない。

「僕が成長期を迎えるくらいからいろいろな講習を受けて知識を身につけたり、栄養学の本を買い込んで勉強したりして、すごくサポートしてもらっています。専門家(スポーツニュートリショニスト)に教わったことも理解して実践し、僕の食生活を管理してくれるので、安心して競技に打ち込めています。

いつの間にか母の方が栄養学に詳しくなって、外食に行っても昔は好きな物が食べられたんですが、最近では低脂質・高たんぱく質の食べ物の店しか連れて行ってもらえなくなりました(笑)。それは自分でもわかっているので、全く文句はありませんけどね」

大いなる目標に向かって努力し続ける木下、母・奈々さんの献身的なサポート、そして、専門家による長期的視野に立った栄養指導。三者で綿密なミーティングを重ねながら、これまで食事・栄養戦略を組み立ててきた。いつか世界に木下の名前がとどろく日を夢見ながら。

今は雌伏、やがて雄飛の時を迎える

木下はスケルトンを始めてからいまだ大きなケガをしておらず、順風満帆で競技人生を歩んでいるといっていい。木下を指導する日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟(JBLSF) 強化部 スケルトングループ・進藤亮祐コーチは「身体能力がどんどん高まっている」と、成長ぶりに目を見張る。木下も、自身の成長カーブに合わせて目標を設定する。

「まずは来年の北京五輪に出場すること。ここが始まりです。次に、世界ジュニア選手権で優勝し、同世代のトップに立つこと。それから、ワールドカップ、世界選手権などでメダルを獲得できるくらいまでの実力をつけ、2026年ミラノ/コルティナ・ダンペッツォ(イタリア)五輪で表彰台に上がる。これが僕のロードマップです。24~25歳で体のピークを迎えられるようにイメージしていて、このままやっていけばメダルが獲れると思っています」

世界で上位を目指すために、やるべきことはわかっている。身体面については、現在(176cm、85kg)でほぼ完成したといっていいが、常にハイパフォーマンスを発揮できるよう、最適な体脂肪率を模索している。多すぎると体が動かなくなり、少なすぎるとスタミナが減る。冬場に体重が落ちやすいことも考慮し、パフォーマンスとのバランスを見ながら調整する日々が続く。筋力の強化、特にスタートダッシュに必要な臀筋(尻の筋肉)、太もも、ソリを押す時にパワーを出力する肩回りの筋肉を重点的に鍛え上げ、世界で戦う準備を着々と進める。

木下は課題の一つに「滑走技術の向上」を挙げているが、国内には滑走できるコースがないため、秋以降に始まる海外遠征(シーズン)で実戦を重ねながら滑走技術を磨いていくことになる。こうした練習環境のハンデは、スポーツ科学を活用することで補い、強みへと変えていく。

夏季合宿中は、筑波大学・國部雅大博士協力の下、「滑走時の視線」の改善に取り組んでいた。スケルトンは、スタート時や滑走時において体のブレが少なければパワーが伝わりやすくなり、爆発的な加速力とスピードを得ることになる。動画や科学データを駆使して視線と滑走の連動性を客観的に検証・分析することで、より力の伝わりやすいフォームに改良していく。

ケガをしない体づくりとコンディション維持、メンタルトレーニングなど、取り組むべきことは多いが、中でも食の海外対策が乗り越えるべき壁として立ちはだかっている。前述のように、栄養管理は母・奈々さんが担っているが、海外遠征となると介入はなかなか難しい。だから今、食事作りの勉強に力を注いでいる。

「栄養学の知識はある程度持っていますが、いざ自分が食べる物に落とし込んでいくことの難しさを痛感しています。母はやはりすごいですね。

 ※すべての大会に出場するわけではない
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僕は食べることが大好きで、食にこだわりがあり過ぎるため、意外と好き嫌いが多いんです。海外に行って知らない物や嫌いな物が出てくると食べられなくなって、体重が減ることにもなりかねない。そうなると競技に響くので、『自炊力』がどうしても必要になります。

例えば、海外に行く時は事前にどんな食材が手に入るのかを調べたり、国内合宿中はずっと自炊したりして、料理の腕を上げることにしています。レパートリーが少ないので、もっといろいろと作れるようになりたいです。大好きな鶏オンリーの食事から早く脱出しないとダメですね(笑)」

第一の目標、北京五輪への道はすでに始まっている。2021~2022シーズンの国際ボブスレー・スケルトン連盟(ISBF)主催大会に出場するために各地を転戦しながら、順位ごとに得られるポイントを獲得し続けていき、2022年1月16日時点でポイント獲得上位25人までに入れば五輪に出場することができる(連盟HPから抜粋)。

2020~2021シーズンは実施されなかったが、その前のシーズンで木下は長期海外遠征を経験し、高校生ながら4位に入るなど一定の結果を残した。今季は、これまで自己強化に努めてきた成果が世界にどこまで通用するかの試金石になる。

スケルトンは、スキージャンプ、フィギュアスケートなど露出度の高いウィンタースポーツと異なり、メディアの一面を飾る機会に恵まれていない。特定の競技・選手しか取り上げないスポーツメディアの慣習ともいえるが、世界レベルの選手が久しく輩出されていない実情も背景としてある。

しかし、一人力の抜きん出た選手が出現すると状況は一変する。スポーツ界でそれはたびたび起きてきた。中学生で自分の進むべき道を決め、先を見据えて自らで考え、自己を律する競技への姿勢。トップスポーツ選手になるべき条件を備える木下は、スケルトン界を変える可能性を秘めている。<了>

木下凜選手 北京五輪への道

2022年1月16日時点でISBF主催大会の順位ポイントが上位25人までにはいれば五輪の出場権が得られる
赤字がレースの最終順位

【関連情報】
木下凜選手 公式インスタグラム
ソリ競技とは
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スケルトン元日本代表が運営するスケルトン専門サイト

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Kiyohiro Shimano

スポーツ新聞社勤務を経て、テレビ、ネット、雑誌とすべての媒体でライター・記者、編集職を経験。前職の食品関連メディアでは編集記者として取材活動する中でスポーツニュートリション分野を開拓し、日本初の一般向けスポーツニュートリション専門誌を創刊(運営母体の事業悪化により休刊)。企画立案から営業、制作まですべてを担当した。スポーツ関係者・従事者ら、食品・栄養業界の研究者や開発者らへの豊富な取材経験を持ち、双方の分野に通じる。

2018年に独立。日本のスポーツニュートリション分野の発展を願い、スポーツ、健康、食品・栄養業界への取材活動を続ける。2020年2月、給食メーカー「株式会社ミールケア」と共同でWEBマガジン「すぽとり」を立ち上げ、編集責任者に就く。

回転翼航空機(ヘリコプター)操縦士のプロライセンスを所持するものの、営業トークにしか使えず、完全に宝の持ち腐れ。数十年も前に出場した「春高バレー」というパワーワードをこすり倒し、取材活動を行う。

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